文/鈴木拓也
谷崎潤一郎の『文章読本』が嚆矢(こうし)となるだろうか。文章上達を指南する書物の伝統が、わが国には連綿としてある。
令和の世に入っても、そうした書籍が何点も刊行され、ちょっとしたブームになっている。
今回紹介する『「書くのが苦手」な人のための文章術』(PHP研究所)も、その1冊。「サライ.jp」でおなじみの書評家、印南敦史さんの新刊だ。
書くことを難しく考えすぎ
SNSの投稿を見ると、短い文章ながらも“読ませる”力量のある人と、ない人がはっきり分かれていることに気づく。
後者の人たちは、「文章を書くのが苦手なんですよ……」と、照れたように打ち明ける。
印南さんも、そうした声をこれまで何度も聞いてきたという。
そして、「書くのが苦手」という人には、共通した固定観念があると指摘する。
その1つが、「書くことを難しく考えすぎている」というもの。
上手い下手はあっても、書くことは「誰にでもできる」というのが印南さんの持論だ。絵を描くとか作曲するといった技芸と違って、書くことは、誰もが日常的にしている「話す」と同一線上の生活習慣だからというのが、理由のひとつ。
それでも、うまく書けないのだとしたら、書く習慣のないことが根っこにあるかもしれない。
書けずに悩んでいる人の何割かは、「書けない」「苦手」「才能がない」などと思い込むあまり、“書く習慣”をつけることを(おそらく無意識のうちに)避けているのです。だとすれば書く力が養われるはずもありません。泳ぐ練習をしなければ、いつまでたっても泳げるようにはならないのと同じこと。泳げない僕がいうのですから、こんなに説得力のある話はありません。(本書より)
才能は要らないが、「習慣」は必要ときっぱり。そもそもこれが、最大のハードルとみるむきもあるかもしれない。しかし、SNSのやりとりやカスタマーレビューなど、ネット世界で書いたことのないという方は、いまや少数派。むしろ、毎日何かしら書いている人が圧倒的多数だろう。印南さんも「SNSやブログの投稿ができれば、文章は書ける」と力説するとおり、既に土台はできていると自信をもっていい。
書き出して頭の中を整理する
文章は誰でも書ける……とはいっても、やはり最後まで読ませる文章を書ける人と、書けない人の差は歴然としてある。
もし、書けないほうだという自覚があれば、本書で明かされる13のメソッドを実践するといいだろう。その中には、いざ書こうと思っても筆が進まない、遅筆家向けの処方箋も。印南さんによれば、書く気はあっても1行も書けないのは、「頭のなかが整理できていない」から。
書きたいこと、書くべきことは明確にあるはずなのに、それらを整理しきれていないから“なんだかよくわからない状態”になっているだけなのです。糸がもつれて絡まっているような感じ。だとすれば、その“もつれ”を解いて、ぴんと張った糸にもどせばいいということになります。そのために有効なのが、頭のなかにある思いやことばの断片を一気に書き出すこと。(本書より)
書き出すのは、ノート、パソコン、スマホのどれでもよく、そこに思いのたけを列記する。そうやって書き出した断片を見ているうちに、書きたいことが見えてくるという。そうなればしめたもの。次の工程としては、優先順位の高い話題から順番に箇条書きし、これらに基づいて文章を書き始める。あとは、さほど苦もなく文章は書き進められると、印南さんはアドバイスしている。
一方、起承転結に代表される構成の作り込みについては、印南さんはあまりすすめていないし、本人もそのやり方は採っていないという。
では、日頃どうやってプロの記事を生み出しているかといえば、「スタートラインとゴールだけを頭に思い描いている」そうだ。それどころか、ゴールも見えないまま始めることもあるとか。なのに、きちんとまとまった記事として完成するのは、要所要所で「その瞬間に考えるべきこと」を考えているからだという。例えば、いの一番に考えるべきは、「なにを真っ先に伝えたいのか」。思考と執筆を繰り返しながら書き進めるうちに、ゴールがはっきり見えてくる。このやり方で、記事が未完成に終わってしまい、最初からやり直すことはなかったと記す。
感動表現だけではおいしさは伝わらない
取り入れるべきメソッドとは逆に、やってはいけないNG事項もある。
その筆頭が、余計な飾りや無駄が多い表現。特に感情の羅列には要注意で、印南さんはこんな例を挙げている。
<悪い例> ネットのランキングでいつも上位を独占している注目度トップのラーメン店「〇〇〇」のチャーシューメンは、悶絶するほどのうまさ! 思わずのけぞって、椅子から落ちそうになった。なんというかもう、驚愕と感動が一気に押し寄せてきた感じで、涙が出そうになったわ!(本書より)
こうした情報を求めている人が知りたいのは、ラーメンのなにが、なぜおいしいのかということ。それを伝えるのが書き手の役割だが、上の例ではごっそり欠落した文章になってしまっている。
また、「!」や「?」の使い過ぎも戒めたい点だとも。気のおけない相手とのメールやSNSでは問題ないだろうが、フォーマルな文書や媒体での多用は禁物。
そのほか、難しい漢字、過剰な自分語り、ネガティブ要素など、うっかり盛り込んでしまいがちなものは少なくない。逆に言えば、こうしたNG事項をなくしてしまえば、より洗練された文章になる。
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印南さんは本書の終わりで、書き続けることの効用に「人生が楽しくなる」ことを挙げている。それは、余暇は増えても、楽しみが減りがちな定年世代には、またとない福音となるのではないか。もしも、書くことが性に合っているなら、日常生活に取り入れてみるのも一興。本書は、その手引きとなってくれるはずだ。
【今日の教養を高める1冊】
『「書くのが苦手」な人のための文章術』
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)に掲載している。