それでは、正解を発表します!
【クイズ1】
江戸には、若党・草履取り・中間などといった武家奉公人を紹介・斡旋して手数料をとる、現在の人材派遣業者とよく似た商人がいました。天保11年(1840)の調査によれば、こうした商人の下には3万5143人もの奉公人がいたといいます。では、この業者のことを何と呼んだでしょう?
(い)手配宿
(ろ)差配宿
(は)人宿
(に)差宿
正解(は)
人宿は、武家に奉公人(「折助」とも)を斡旋する業者である。武家はたとえ貧乏であっても、規定どおりの従者が必要なので、この奉公人の需要はつねに高かった。知行所のある武家では、村から奉公人を連れてくる場合もあったが、何のつてもない武家は、人宿に斡旋を頼むしかなかったという。
【クイズ2】
神田川の筋違御門から浅草御門までの南側は、柳原土手と呼ばれ、この土手下に並んだ小屋掛けの店で有名でした。では、これらの店ではおもに、何を売っていたのでしょう?
(い)近郊の野菜
(ろ)古着・古道具
(は)生魚・乾魚類
(に)松・楓の盆栽
正解(ろ)
柳原土手には古着や古道具を売る店が並んでいた。江戸の町ではリユースが盛んだった。
【クイズ3】
徳川家康が江戸入りして間もないころ、築城のために集められた人足などを相手に新しい商売が成立しました。江戸では、銭瓶橋のたもとに開業したのが最初とされるこの商売とは、何でしょう?
(い)一膳飯屋
(ろ)貸本屋
(は)髪結床(床屋)
(に)銭湯(湯屋)
正解(に)
江戸の銭湯は、天正19年(1591)夏、伊勢与一が銭瓶橋(現在の千代田区丸の内あたりにあった)のそばに開業し、永楽銭1文で入浴させたのが最初とされる。
【クイズ4】
江戸時代には、いろいろな行商がいました。さて、下の絵の箱に描かれているような半仮面をつけて売り歩き、「百眼(ひゃくまなこ)」と呼ばれていた行商は、何を売っていたでしょう?
(い)眼病の薬
(ろ)化粧品
(は)歯磨
(に)眼鏡
正解(は)
「百眼」とは、目や眉などを描いた顔の上半分を覆う仮面「目鬘(めかつら)」を取り替え、変装してみせる寄席芸、百面相のことをいう。これを客寄せに利用したのが、百眼歯磨または百眼と呼ばれた歯磨売りで、歯磨粉を入れた箱には目印に目鬘の絵を入れていた。
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いかがでしたか? 実は今回の問題には江戸検1級の問題が含まれていました。
※問題の出典:『第4回 江戸検問題公式解説集』『第3回江戸文化歴史検定(2008年度)江戸検出題問題公式解説集』
取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)