「上がり性に克つために、芸能界入りを選んだ」
芸能界に憧れてはいたものの、生来の引っ込み思案から自分はテレビに出る側の人間ではないと思っていた中学時代。けれど、幸運にも18歳で歌手デビュー。以来27年、山あり谷ありの芸能生活を語る。
←あいだ・しょうこ 昭和45年、東京都生まれ。同63年、女性デュオ「Wink」としてデビュー。翌年、日本レコード大賞受賞。平成9年の活動停止以降は、映画・ドラマ・CM・舞台で女優として活動。人気バラエティ番組のレギュラーや司会を務めるなど、幅広く活躍。同25年9月に16年半振りのオリジナル・ソロアルバム『This Is My Love』を発表。
ロボットのような振付で、無表情に歌うアイドルデュオ「Wink」。昭和の終わりから平成にかけて活躍した相田翔子さんと鈴木早智子さんのふたり組である。アイドルスマイルを振りまかないことが、かえって新鮮でもあった。
相田さんの芸能界入りのきっかけは、友達に連れられて行ったオーディションである。
「上がり性で人前に出るのは苦手。芸能界に入ったら、その上がり性を克服できるかなって、オーディションを受けたんです」
その会場で芸能事務所の人に声をかけられ、ボイストレーニングや芝居のレッスンを受けるようになる。まだ14歳。今までの人生で最も大きな「センタク」だった。
高校を卒業した年の4月、鈴木早智子さんとWinkを結成。1曲目、2曲目は思ったほど売れず。ところが、これが最後と思って出したシングル3曲目の『愛が止まらない』が大ヒット。トップアイドルの仲間入りを果たす。さらに5作目となる『淋しい熱帯魚』で第31回日本レコード大賞を受賞。人気は不動のものとなったが、「4年が過ぎた頃からアイドルではない大人の歌が歌いたくなった。けれど、ファンが求めているのはそんな歌じゃない。人気にも翳りが見え始めました」
世間の流れを受け止めて、華のあるうちにWink活動停止の「センタク」をする。その後の2年間は作詞作曲に打ち込み、テレビに顔を出すことはなかった。
テレビのバラエティ番組への出演は28歳の時。控えめで自然体、時に空回りする会話が“天然キャラ”と人気を博し、司会者にも。30歳で逃げていた舞台にも挑戦。
「舞台は生もので怖かったけれど、演ってみたら楽しかった。覚悟を決めたら一直線。命がけです」
歌手、女優、司会者、声優と幅広く活動してきたが、その原点には歌がある。3年前から始めた年1回のライブがライフワークだ。
←平成27年2月、東京・丸の内の『COTTON CLUB』でライブを開催。自身の原点である“音楽・歌” はこれからも続けたいという。
←デビューしたばかりの18歳の頃。その素人っぽさが魅力だった。
←趣味は陶芸。陶芸教室には好きな着物で出かけることも。手回しロクロも慣れたものだ。
●「Wink」結成後、ヒット曲が出るまでの逸話やテレビのバラエティ番組出演のきっかけなど、ここでは書ききれない話は「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。
ワタシの、センタク。
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