誰もが人生を心豊かに愉しめる「本物」を届けたい。
そのために、いつの時代も普遍の価値を追求していく。

 

1989年に誕生した「マツダ ロードスター」と『サライ』は、なぜ26年以上も愛され続けているのか。両者の生い立ちから共通する志まで、4代目ロードスター開発主査の山本修弘さんと『サライ』編集長・小坂眞吾が語り合う。

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2人乗りの小型スポーツカーという市場を開拓、以後、技術やデザインにおいて継承・革新・改良を繰り返してきたロードスター。

2人乗りの小型スポーツカーという市場を開拓、以後、技術やデザインにおいて継承・革新・改良を繰り返してきたロードスター。向かって左が山本修弘さん、右が『サライ』編集長の小坂眞吾。

山本修弘(やまもと・のぶひろ) 1955年、高知県生まれ。1973年、マツダ入社。ロータリーエンジンの開発に携わる。3代目ロードスターの車両開発副主査を経て、同車開発主査に就任。

山本修弘(やまもと・のぶひろ)
1955年、高知県生まれ。1973年、マツダ入社。ロータリーエンジンの開発に携わる。3代目ロードスターの車両開発副主査を経て、同車開発主査に就任。

"小坂眞吾(こさか・しんご)

小坂眞吾(こさか・しんご) 1965年、岐阜県生まれ。 1990年、小学館入社。2014年より『サライ』編集長を務める。休日は釣りやキャンプなど、クルマでの遠出が多い。

「本物の材料・構造・仕組みを追求、手を抜かずに注ぎ込みました」(山本修弘)

「流行はあえて追わない。当時の雑誌づくりの真逆をいきました」(小坂眞吾)


山本
 初代ロードスターがデビューしたのが1989年。4代目は2015年に登場したのですが、こうして4世代を見比べて、どう思われますか?

小坂 初代が発売された時、ものすごく印象的だったことを思い出します。4代目は初代のイメージをしっかり残しながら、ブラッシュアップ(洗練)されたというか、切れのある鋭さを感じます。

山本 そう言っていただけるとうれしいです。

小坂 それにしても、今から26年も前に、趣味性の高いスポーツカーを発売し、今なおつくり続けていることに驚かされます。

山本 『サライ』も同じ年に創刊されたと聞いていますが。

小坂 はい。ロードスターよりも7か月遅い9月生まれ。同じ年ということで何か縁を感じます。

山本 ロードスターが誕生した背景は、初代主査の平井さんが「今後、マツダが生き残るには何かしら個性のある存在にならないとダメだ」と主張しましてね。それを機に計画が始まりました。

小坂 でも、当時はロードスターのような2人乗りのコンパクトなスポーツカーはなかったのでは?

山本 ええ。20年間以上、つくられていませんでした。イギリスやイタリアでも、排ガス規制などから小型スポーツカーはとうに姿を消していまして、当然市場はない、つまり「売れない」と。でも、主査をはじめマネジメントは北米や日本市場の動向を見極めていました。

小坂 『サライ』の創刊時と状況がよく似ています。当時の雑誌、特にビジュアル誌の読者は若者が中心でした。そこで、人生経験を積んだ大人が楽しめる雑誌をつくってみようと。内容も流行を追うのではなく、例えば創業何十年という老舗を取り上げる。当時の雑誌づくりの真逆をいったのです。

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「日本初、大人の生活誌」という謳(うた)い文句で登場した『サライ』創刊号。ピカソの少年時代の写真を掲載した。


山本
 初代は、北米のみならず日本でもよく売れました。日本国内だけで発売から5年間で10万台も売れた2人乗りのスポーツカーは、それまでなかった。なぜこれほど売れたのか。それは「本物」だからだと思うのです。決してフェイク(模造)でなく、車を楽しい乗り物にしたいと心底願って、本物の材料、本物の構造や仕組みを追求し、手を抜かずに注ぎ込んだ。

小坂 なるほど、ますます『サライ』と似ていますね。ここに『サライ』創刊号の編集後記があります。《ひと口に大人の雑誌といっても大人の趣味嗜好は様々~》という文章で始まり、《温故知新ということをテーマに雑誌づくりを行なう》と書いてあります。

山本 いやいや素晴らしいですね。僕らは4代目をつくる時に「原点回帰」という言葉を使っています。デザインにおいてはレトロという言葉も使うのですが、初代ロードスターのデザインや性能を単に踏襲するのではなく、乗って楽しいという部分を再現する。それを現代の技術でつくるというのが我々の原点回帰なのです。

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車と雑誌……分野は大きく違えども、対談が進むにつれて互いの共通項が次々に浮き彫りになり、話に熱がこもる。


「できない目標を掲げることで、初めて限界を突破できるのです」(山本修弘)

「生きることの喜びを実感できる記事づくりを心がけています」(小坂眞吾)


山本
 最近の車づくりは、すべてをコンピュータに頼っています。でも、それでは乗る人の五感に響く車はつくれないと思い、4代目の基本デザインができた時、それを工場の職長さんに見せて、フロントフェンダーなどを軽量なアルミでつくりたいと相談しました。ところが「こんな深い絞りはアルミでは無理」と言われましてね。

小坂 アルミは加工が難しい。

山本 僕としてはアルミは譲れなかったので、彼にこう言いました。「僕たちは皆さんの職場を工場ではなく工房だと思っています。この工房から匠の技と知恵の詰まった作品を生み出し、お客さんに届けましょう」と。すると、「よし、楽しい車、本物のスポーツカーをつくろうじゃないか」と皆が一体になって、アルミを多用することが可能になったのです。

小坂 モノづくりに対する信念ですね。じつは『サライ』も創刊時に、読書灯などの光が反射しにくい特殊な紙を製紙会社の方々と共同開発しました(宮城県の石巻にあった『サライ』用の紙の製造工場が東日本大震災で被災。現在はその紙に準じたものを使用)。『サライ』を読む際の読者の負荷をひとつでも減らしたいという思いからです。

山本さんからロードスターの楽しみ方をアドバイスしてもらう小坂編集長。オープンカーは座席に座るだけで自然と笑みがこぼれる。

山本さんからロードスターの楽しみ方をアドバイスしてもらう小坂編集長。オープンカーは座席に座るだけで自然と笑みがこぼれる。

 
山本 4代目をつくる上で、目標をとても高く設定しました。そのひとつが軽量化です。3代目は車体の拡大化と豪華さを追ったので1.1tになった。それを800㎏にするというとてつもない目標を立てたのです。結果100kgも減量できました。目標はギリギリではダメ。できない目標を掲げないと「突破」できない。これも乗って楽しい本物のスポーツカーをつくりたいという目標のためです。

小坂 目標でいえば、『サライ』の根幹になるテーマは「命」です。『サライ』を読んで何か行動を起こした方が、「あぁ、生きていてよかった」と思える瞬間を持てる記事づくりを常に心がけています。

山本 ロードスターも、乗ればどこか素晴らしい場所に連れて行ってくれる、そんなイメージを抱ける車であってほしい。

小坂 ロードスターを運転していて、生きていてよかったと思える心の景色が見えたら最高ですね。

手を抜かずに「本物」を追求することで、「人の心に届く価値と魅力」が生まれる。そうした信念を秘めた「マツダ ロードスター」と『サライ』。次回(『サライ』2月号)は、ロードスターを手に入れたことで、その後の人生が、さらに豊かになったと語る『サライ』愛読者が登場します。

■「ロードスター」と『サライ』の歩み
1983年11月 ライトウェイトスポーツカーのプロジェクト開始
1989年9月 「ユーノス ロードスター」国内販売開始(同年2月にシカゴ
        ショーで発表)
        日本初の大人の生活誌として隔週刊『サライ』創刊
1997年12月 2代目「マツダ ロードスター」販売開始
2005年3月 3代目「マツダ ロードスター」販売開始
     11月 「2005‐2006 日本カー・オブ・ザ・イヤー」受賞 
2009年9月 『サライ』が月刊誌として新装
2014年9月 スカイアクティブ技術と「魂動」デザインを採用した4代目「マ
        ツダ ロードスター」発表 
2015年5月 4代目「マツダ ロードスター」販売開始
     10月 新機種「マツダ ロードスター RS」販売開始

取材協力/マツダ株式会社

 

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