文・写真/菅原 悠(海外書き人クラブ/香港在住ライター)
今でこそ、金融の中心地、きらびやかなネオン輝く観光都市というイメージが強い香港。だが一昔前までは「日本で人さらいに遭った子が香港に売られていた」とか「香港で試着室に入ると突然壁が開いて連れ去られる」などといった「都市伝説」が、まことしやかに囁かれるような如何わしい街だった。
そんな古き怪しき香港が、今も残る場所がある。
九龍半島の中心地である尖沙咀(チムサーチョイ)から2駅、歩いても20分ほどの場所に位置する繁華街「油麻地(ヤウマテイ)」
その昔、大規模な埋め立てがなされるまで、この地はのどかな漁村だった。いつしかマフィアと強い繋がりを持つようになり抗争や事件が多発する香港屈指の危地となったが、最近では大きな事件はめっきり減り、夜でも観光客の絶えない人気のエリアに様変わりした。しかし現在も裏通りには、ここは危険だと細胞が信号を発してくるような得体の知れない怪しさ漂う場所がある。
このディープな街「油麻地」の裏通りを覗いてみよう。
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まずは地下鉄・油麻地駅よりほど近い場所にある1913年から続く果物市場「油麻地果欄(ヤウマテイ・クォラーン)」へ。
卸売りを中心に全盛期は400店ほどが軒を連ねていたというこの大きな果物市場。現在、店の数はその半分ほどに減ってしまったが、それでも世界各地から集められた新鮮な果物を求める地元民や、100年以上前の歴史的建造物を一目見ようと訪れる観光客が後を絶たない。
常に賑わうこの市場、実は十数年前まで裏の顔を持っていた。
香港の6大マフィア組織が共同で経営する非合法の賭博場が存在していたのだ。しかもマカオのカジノを彷彿とさせる香港最大規模の賭博場で、月曜日から土曜日まで24時間営業であったという。
長期に渡る捜査の末、2003年、ついに一斉検挙に至ったが、マフィア組織の重要人物のほか13人の警察官までもが逮捕された。油麻地ではつい先日も非合法賭博場が摘発されているが、ここまで大規模で警察も絡んだ組織犯罪は、いくら香港といえどもなかなかない。
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油麻地果欄を出たら、ひと筋東の道「上海街」を南下しよう。ここには調理用品の問屋街があり、飲茶用のせいろや月餅の木型など香港ならではの調理器具を売る店が並んでいる。この辺りは街の雰囲気も行き交う人も中心部と違いローカル感が漂う。
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香港の街なかで老朽化した10階建て前後のビルに出くわしたら、少し離れた場所からその屋上を見上げてほしい。ビルの上にトタン屋根が見えたなら、そこには地上から切り離された屋上スラムが広がっているかもしれない。
1950年代に建てられ始めたという屋上スラム。この油麻地が属する九龍地区に多く存在し、一時は1万数千人が住んでいた。しかし現在はビルの老朽化に伴い取り壊しが相次いでいることから、そこで暮らす人の数はごく僅かだという。屋上スラムを追われた生活者たちは、その後どこへ行き着いたのだろう。
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そろそろ休憩。この地で1950年から営業を続ける老舗レストラン「美都餐室(ミドー・カフェ)」に入ってみよう。
未だ続く不動産価格の高騰により、閉店、移転を余儀なくされるレストランが多い中、美都餐室はこの70年間ほとんど変わらない姿で営業を続けている。
タイル張りの店内から外を覗くと、向かいの広場で太極拳や将棋を楽しむ人々の姿を望むことができ、激動する香港でここだけ時が止まったようだ。それ故、今まで数々の映画やドラマの撮影場所として使われてきた。
そんな趣あるレストランで6年前、まるで昔の香港映画のような事件が起こった。
2013年のとある日のこと、この店を贔屓にするマフィアのボスが店員と座席を巡りいざこざになった。その場はなんとか収まったが、翌朝、店主が店の鍵を開けた途端、4人組の男が無理やり押し入り、店を滅茶苦茶に破壊。防犯カメラの映像から店を襲ったのは香港マフィア三大勢力の1つ、和勝和の一味であることが判明し即逮捕となった。やはり前日の一件でボスの面子を潰された腹いせに襲撃したようだ。ちなみに目撃者は大勢いたにも関わらず誰も警察へ通報しなかった。その理由が当時の地元紙にある。
「映画の撮影をしていると思った。(通行人談)」
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激動を続ける香港で、ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画で見たような麗しく怪しげな雰囲気がいまだ残る数少ないエリア「油麻地」。一度訪れてみてはいかがだろうか。きらびやかなだけでないディープな香港に出会えるはずだ。
文・写真/菅原 悠(海外書き人クラブ/香港在住ライター)
日本でマーケッターを務めたのち、2013年、香港に移住。現地出版社で記者、編集者となる。現在はフリーライターとして活動中。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)会員。