文/林田直樹(音楽ジャーナリスト・評論家)
1970年代以降、クラシック音楽界のみならず、美術や詩やファッションなど、文化全般に至るまで、深く静かな影響をじわじわと及ぼしてきたフランスの作曲家エリック・サティ(1866-1925)が、最近再び熱い注目を浴びている。
一昨年の2015年夏には東京・渋谷のBunkamuraで「エリック・サティとその時代展」が開催されたのは記憶に新しいし、昨年2016年はサティの生誕150年ということもあり、毎月のようにサティ関連のコンサートが行われ、さまざまな演奏によるサティのCDも続々と発売された。この勢いは一過性のブームなどではなく、サティ人気は幅広い年齢層の音楽ファンにすっかり定着したと見ていいだろう。
サティの音楽がいまなぜここまで幅広い支持を集めているのか。その魅力については、次の3つのポイントにまとめられそうだ。
■サティの魅力1:上質な静寂と官能性
代表作の「ジムノペディ」や「グノシェンヌ」に代表されるように、サティのピアノ曲は音の数が極端に少ない。そして音と音のあいだの間(ま)がたっぷりある。いっさい装飾のない“裸の音楽”であるといってもいい。
そんなサティの音楽は、ありのままのメロディだけでもまぶしいくらいに気品にあふれて美しく、あたかも一糸まとわぬ女性のヌードのように官能的でもある。
つい最近公開されたばかりの日活ロマンポルノの新作映画「ジムノペディに乱れる」(行定勲監督)に、サティの楽曲が効果的に使われていたのも、ある意味当然かもしれない。
■サティの魅力2:異端にして前衛
一昨年のBunkamura「エリック・サティとその時代」展で、訪れた人々を驚かせたのは、まるで美術品のように絵画的に描かれた自筆楽譜の美しさである。イラストレーターのような筆跡、詩的な言葉がちりばめられ、音符の形そのものさえも芸術なのである。
サティは従来の音楽のルールをことごとく破壊し、因襲にとらわれない自由な作曲態度を持つ人であった。「家具の音楽」という言葉を耳にされたことのある方もおられるだろう。「ヴェクサシオン」という楽曲では、同じフレーズを840回も繰り返すように指定されている。「(犬のための)ぶよぶよした前奏曲」「ひからびた胎児」「梨の形をした3つの小品」「官僚的なソナチネ」といった作品のタイトルだけみても、どれほどユニークな音楽観をサティが持っていたかがお分かりになることだろう。
100年前のパリにおける異端にして前衛だったサティは、多大な影響を各方面に与えている。たとえば演奏者が全く何も演奏しない「4分33秒」を作曲した20世紀アメリカ最大の前衛作曲家、ジョン・ケージ(1912-92)がそうである。サティは音楽と音楽でないものとの境界線すら問い直す先駆的・未来的な存在でもあったのだ。
■サティの魅力3:時代の転換期を象徴
20世紀初頭のパリにあってサティは、秘密結社“薔薇十字会”の専属作曲家だったり、モンマルトルの芸術家キャバレー「黒猫」に入り浸っていたりと、その暮らしぶりには、ジャンルを超え、秘密めいた地下活動的な雰囲気があった。
1917年に上演されたバレエ「パラード」は、台本がジャン・コクトー、音楽はエリック・サティ、美術と衣装はパブロ・ピカソという強力な顔ぶれによって制作された。そこには、時代の転換期ならではの全く新しい創意と発想が満ちていた。
日本でのサティ受容に目を向けてみよう。1970年代にサティは知られざる好奇心をそそる存在として日本の音楽界に紹介され、またたく間に注目の的となった。サティは新しい、教科書的でないクラシック音楽、いやむしろポップスやロックに近い、スリリングな流行音楽の最先端として、熱狂的に受け容れられたのである。
サティの音楽は決して古びることはない。いまもなお異端にして前衛であると同時に、永遠にすたれることのない流行として聴きつがれ、演奏され続けている。
■エリック・サティの推薦盤
そんなサティをいま改めて聴くなら、どんなディスクがよいだろうか。2016年にリリースされた新譜の中から、私がおすすめしたいCDを、以下にご紹介しておこう。
【エリック・サティ ピアノ作品集】
高橋悠治(ピアノ)、他
日本コロムビア COCQ-85298-300
http://columbia.jp/artist-info/takahashiyuji/COCQ-85298-300.html
1970年代の歴史的名盤の復刻。3枚組。高橋悠治の演奏は、知的な緊張感あるもので、反逆と孤高の雰囲気も感じられる。サティを発見した当時の日本の音楽ファンの興奮さえもが伝わってくるようである。生々しくリアルなピアノの響きもいい。主要なサティの名曲はほぼこの3枚で網羅できる。
【高橋アキ プレイズ エリック・サティ1】
カメラータ・トウキョウ CMCD-28305
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?serial=CMCD-28305
【高橋アキ プレイズ エリック・サティ2】
カメラータ・トウキョウ CMCD-28322
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?serial=CMCD-28322
【高橋アキ プレイズ エリック・サティ3】
カメラータ・トウキョウ CMCD-28322
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?serial=CMCD-28338
サティ受容に大きな功績のあった高橋アキが、40年ぶりに最新録音を続けてリリースしている。音楽評論家で亡夫の秋山邦晴の充実した解説が読める。たっぷりと間をとった、柔らかく優しいサティは、現在耳にすることのできる最良の演奏のひとつ。イタリアの教会で収録した、ピアノのみずみずしい響きが素晴らしい。
【Désespoir agréable】(デゼスポワー・アグレアブル、心地よい絶望)
Ky(キィ)
OTTAVA records OTVA-0010
http://www.camerata.co.jp/music/detail.php?serial=OTVA-0010
中近東風味にアレンジされたサティの作品の斬新な響き、洒落た雰囲気に驚かれる方も多いだろう。本来サティの音楽に内在する東方性をクローズアップした演奏ともいえる。「キィ」は仲野麻紀(アルト・サックス、メタル・クラリネット、ヴォーカル)とヤン・ピタール(ウード、ギター)によるパリを本拠とするユニット。これも今のクラシック。
【眠りのためのサティ】
アトリエ・アド
アドニス・スクウェア ADOR-1001
http://www.adonis-sq.jp/shop/shop_a/ador-1001.html
癒し効果たっぷりなオルゴール演奏によるサティの名曲集。パリでサティが活躍を始めた1880年代、ドイツで爆発的な人気を集めていたのがオルゴールであった。当時のオルゴールはアンティークではなく最新流行の高級玩具・自動演奏装置であり、現代のコンピューター音楽の先駆けであった。両者の融合は必然と言ってもいい。
【ソクラテス~サティ歌曲集】
バーバラ・ハニガン(ソプラノ) ラインベルト・デ・レーウ(ピアノ)
ボンバレコード Winter&Winter 910 234-2
http://winterandwinter.cart.fc2.com/ca172/1325/
サティの歌曲のなかでも特に静かなものばかりが並べられているが、そこから伝わってくるのは、ひとしずくの涙のように美しい、俳句のように簡潔で最小限の音による世界。バロックから現代作品まで、幅広いレパートリーを持つカナダのソプラノ歌手バーバラ・ハニガンと、現代屈指のサティ弾きでもあるデ・レーウによる透明感ある演奏。
【ストラヴィンスキーとサティ、パリは悲哀と愉悦の舞台】
アレクセイ・リュビモフ&スラヴァ・ポプルーギン(ピアノ)
Alpha-230 マーキュリー
http://www.mercury-coo.com/search.cgi?count=2&no=Alpha230&book
ロシアの鬼才ピアニスト、リュビモフが若手のポプルーギンと組んだ、2台ピアノのための作品集。「ダンバートン・オークス」協奏曲のストラヴィンスキー自身による編曲、サティ「ソクラテス」のアメリカの前衛作曲家ジョン・ケージによる編曲など、ひとくせもふたくせもある内容。約100年前のピアノを用いて、「穏やかな反逆」を表現。
文/林田直樹
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年生まれ。慶應義塾大学卒業後、音楽之友社を経て独立。著書に『クラシック新定番100人100曲』他がある。『サライ』本誌ではCDレビュー欄「今月の3枚」の選盤および執筆を担当。インターネットラジオ曲「OTTAVA」(http://ottava.jp/)では音楽番組「OTTAVA Liberta」のパーソナリティを務め、世界の最新の音楽情報から、歴史的な音源の紹介まで、クラシック音楽の奥深さを伝えている(毎週木・金14:00~17:00放送)