小泉セツ&小泉八雲の夫婦がモデルとなった朝の連続テレビ小説『ばけばけ』が注目されています。実はその小泉夫妻と、明治の文豪・夏目漱石と妻・鏡子は、不思議と重なり合う縁で結ばれていた、というのをご存じでしょうか。

夏目漱石の研究家として知られ、『心を癒す漱石の手紙』などの著書を持つ、作家で雑誌編集記者の矢島裕紀彦さんによると、二人の文豪とその妻たちには奇縁と呼ぶしかないような不思議なつながりがあると言います。

多数の文献や手記を紐解きながら、二組の夫婦の知られざる素顔を全26回の連載にて紹介します。

第23回では、八雲とセツ夫妻、漱石と鏡子夫妻の間に交わされた手紙の数々をご紹介します。お互いを思う気持ちが手紙の端々から感じられます。

文・矢島裕紀彦

遺されたたくさんの手紙からにじみ出る人柄

夏目漱石は、頗るつきの手紙好きだった。自ら

小生は人に手紙を書く事と人から手紙をもらふ事が大すきである(明治39年1月7日付、森田草平宛て書簡)

と綴ったほど。漱石の遺した書簡は、現在把握され全集に収録されているもので3巻分、2600通を超える。そのひとつひとつをつぶさに見ていくと、手紙文の古典的な定型とも言うべき候文をはじめ、漢語調のものがあり、目の前の相手に語り聞かせるような言文一致体があり、時にはそこに俳句や英文が彩りを添える。相手によって、状況や内容によって、自在に文体を使い分けている。

幼少時から漢文や寄席に親しみ、正岡子規との交遊を軸として俳句をつくり、英文学者として文部省派遣留学生となり、やがて作家として頂点にのぼりつめていく。漱石の人生航路が、その多様な文体の基礎となっている。その多様、自在な文体を駆使して、漱石は友人や弟子や家族、さらには自分に手紙をくれた見知らぬ人にまで、ユーモアと真情にあふれる手紙を書き送った。困ったとき、悩んでいるとき、寂しいとき、嬉しいとき――。その時々に、漱石は的確な言葉を人々の胸の中に投げかけた。漱石の手紙によって、心なぐさめられたり鼓舞されたりして、自己の進むべき道筋を見出した者も少なくない。

たとえば、次に掲げる芥川龍之介への手紙。

あなたのものは大変面白いと思ひます。(略)あゝいふものを是(これ)から二三十並べて御覧なさい、文壇で類のない作家になれます。然し「鼻」丈(だけ)では恐らく多数の人の眼に触れないでせう。触れてもみんなが黙過するでせう。そんな事に頓着しないでずんずんお進みなさい。

時に大正5年(1916)2月19日。当時の芥川はまだ東京帝国大学の英文科に在学中の一介の文学青年に過ぎない。それが、同人誌『新思潮』に掲載の短編小説『鼻』を読んだ漱石からこんな激賞の手紙をもらった。芥川はこの文豪からの手紙に、どれほど励まされ勇気づけられたことだろう。これ以前、芥川は同人誌に『老年』『羅生門』の2作を発表していたが、周囲の評判は悪く、自信を失いかけていた。『鼻』を寄稿したあとも、これが「小説として通るかどうか」ということにさえ疑念を抱きはじめていたのだった。

その後、大正の文壇に独自の色合いの花を咲かせる芥川の未来は、この漱石の書簡1通によって明示され、切り拓かれたといっていい。漱石の手紙は、いわば文壇へのパスポートのような役割も果たした。このあとすぐ、一流文芸雑誌の『新小説』と『中央公論』から執筆依頼が舞い込んだ。前者は漱石門下の鈴木三重吉が編集顧問をつとめ、後者は漱石山房に出入りしていた滝田樗陰が編集長だった。

漱石は芥川宛て書簡で、こんな言葉も投げかけている。

どうぞ偉くなつて下さい。然(しか)し無暗(むやみ)にあせつては不可(いけ)ません。たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です。(大正5年8月21日付)

根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。うん/\死ぬ迄押すのです。それ丈です。(略)牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。(大正5年8月24日付)

この年の暮れには鬼籍入りする漱石の遺した言葉として、芥川がことあるごとにこれらの手紙の文面を思い出し、あるいは読み返し、心の支えとしたことは容易に想像できる。のちに芥川が文壇の後輩・堀辰雄らに出した励ましの手紙には、漱石書簡と類似の言い回しが随所に見られるのである。

小泉八雲も手紙好きで、多くの手紙を書いた。

八雲没後、新聞記者時代からの友人で米国在住のエリザベス・ビスランド(ウィットモア夫人)が伝記を書こうとした。横浜に住むマクドナルドと連携してのことで、著書の印税はすべて八雲の遺族のもとへ送ろうという計画だった。伝記執筆の準備で八雲の手紙を収集したところ、その数と質の高さにビスランドは驚かされた。そこで、方針を少し転換し、略伝を添えた2巻からなる書簡集『ラフカディオ・ハーン その生涯と書簡』をホートン・ミフリン社から刊行した(明治39年出版)。その序文にビスランドは書いている。

当初の意向では、伝記の本文を単に説明するだけのために手紙を引用するはずだった。しかし、次第にその数量と価値が明らかになり、それらを完全に再録することは、この本を読みやすくするのと同時に、どんな関連資料よりも、ハーンの性格を明確に実証できると思われた。

明治43年(1910)には、その続篇とも言うべき『ラフカディオ・ハーン 日本での書簡』も刊行されている。書簡からは、しばしば書き手の本性が露わになる。かつて漱石は、まだ手紙のやりとり以外は交流の浅かった森田草平宛ての手紙に

君の手紙をよむと君の人間を貫ぬいて見る様な心持ちがします。君と二三月交際しても、あれ程には分るまい。(明治39年1月9日付)

と綴ったことがあった。手紙の向こうに、自ずと書き手の素顔が現出してくる。そのことを、八雲の手紙を読んだビスランドも如実に感じていたのだろう。

夫婦ならではの温度感が睦まじいラブレター

八雲の手紙の内で異彩を放つのは、明治30年(1897)から亡くなる年の明治37年(1904)まで、毎夏のように出かけた静岡・焼津から東京の留守宅にいる妻のセツに書いた、「ヘルンさん言葉」の手紙である。たとえば――。

小・ママ・アナタ・ノ・カワイ・テガミ・アリマス・ワタシ・ヨロコブ(略)かづを・サクジツ・ハジメテ・フカイ・ウミ・ニ・トリマシタ・五・トキ・かつを・フ子(ね)・ニ・ヲヨギマシタ・ト・カエリマシタ(略)アノ・カラス・コ子(ね)コ・ニ・ナマエ・モ・ヤリマシタ・ヒノコ・ト・ヨブ・デスカラ・小・メ・ニ・ヒノコ・ノ・ヨナ・やいづ・の・パパカラ・カワイ・ママ・ニ(明治34年7月25日付)

長男の一雄が深い海に入り船との間を5往復した、拾ってきた黒猫に「ヒノコ」という名前をつけたといった、その日の出来事を知らせる何気ない手紙だが、「小・ママ」「カワイ・ママ」といった拙い表現に、八雲のセツへの温かな思いが読み取れる。八雲はこのような手紙を、焼津に滞在中、毎日のように書いた。

セツも同じ「ヘルンさん言葉」を使って、

パパサマ、アナタ、シンセツ、マイニチ、カワイノ、テガミ、ヤリマス。ナンボ、ヨロコブ、イフ、ムヅカシイ、デス
シンセツノパパサマ、セカイ、イチバンノ、パパサマ。アナタノ、カラダ、ダイジヤウブデスカ

などと返書をしたため、大工を頼んで八雲の書斎の修繕を行なっていることや、八雲が心配している庭の芭蕉の木の様子や庭の朝顔の咲いたことを知らせる。

パパノカオ、ミルト、オモシロイノ、コトバ、キク、大いースキ

といった言葉も綴り込まれる。

八雲とセツならでは紡ぎ上げ得た、夫婦の愛情と信頼がにじんでいる。

明治33年(1900)秋から明治35年(1902)暮れにかけては、漱石と鏡子も、遠く離れて手紙をやりとりしている。漱石の英国留学のためであった。日本を離れて半年近く過ぎると、漱石はこんな文言を書いた。

段々日が立つと国の事を色々思ふ。おれのような不人情なものでも頻りに御前が恋しい。これだけは奇特と云つて褒めて貰はなければならぬ。(明治34年2月20日付)

回りくどい表現ながら、ラブレターである。ロンドンから東京へ、船で手紙を運ぶのにひと月半ほど要したから、届いたのは4月上旬だろう。いつもは筆不精な鏡子も、さすがにこれには、間を置かずきちんと返書をしたためた。

あなたの帰り度(たく)なつたの淋しいの女房恋しいなぞとは今迄にないめつらしい事と驚いて居ります しかし私もあなたの事を恋しいと思ひつゝけている事はまけないつもりです 御わかれした初(はじめ)の内は夜も目がさめるとねられぬ位かんかへ出してこまりました けれ共(ども)之(これ)も日か立てはしぜん薄くなるだらうと思ひていました処中ゝ日か立てもわすれる処かよけい思ひ出します これもきつと一人思でつまらないと思つて何も云はすに居ましたが あなたも思ひ出して下さればこんな嬉しい事はございません 私の心か通したのですよ 然し又御帰りになつて御一緒に居たら又けんくわをする事だ(ら)うと思ひます(略)私は御留守中いくら大病にかゝても決して死にませんよ どんな事かあつてもあなたにおめにかゝらない内は死なゝい事ときめていますから御安心遊ばせ(明治34年4月13日付)

実は鏡子のこの返書は、早稲田大学の中島国彦教授によって発見され、雑誌(『図書』昭和62年4月号)に紹介されるまで、その存在が一般に知られていなかった。23歳の鏡子の中の乙女心が横溢する、いい手紙である。末尾には《破いて下さい》とも書いている。

漱石と八雲には、夫婦の情愛を示す、看護婦をめぐるこんな逸話もある。

漱石は49歳になる大正5年(1916)1月末、右手に激しい痛みがあり、ペンを握ることもままならぬので、湯河原温泉に行って療治しようということになった。鏡子は子どもたちの世話もあって家を空けられぬので、「代わりに看護婦でもお連れになっては」と提案した。当時の看護婦は必ずしも病院雇いと限らず、個々人で必要に応じて依頼して雇用していたのである。

すると漱石は、「まあ、よそう」と言う。鏡子が訳を尋ねると、漱石は、「とかく男一人女一人なんてのはいけない。自分ではこの爺さんに間違いはないとは思うが、しかし人間にはハズミというやつがあって、いつどんなことをしないものではない」

そう答えて、ひとりで出かけていったという。

八雲の場合は、同じ49歳頃のこんな話である。ある日、八雲の留守中の小泉家に若い女が訪ねてきて、長男の一雄に「いつお父様は洋行なさいますか?」と訊いた。よおく見ると、それは一雄が以前入院した病院の看護婦だった。看護婦は「坊っちゃんは8つになったらお父様と一緒に洋行なさると聞きました。自分は以前から洋行したいと思っているので、表面、私を坊っちゃん付きの女中ということにして、あちらへお連れいただきたいと思って、お願いに参上した次第です」と言った。帰宅した八雲は、嘘は嫌いだから表面だけ取り繕うのは嫌だと言ったあと、こう付け加えたという。

「私、妻以外の若い女を執る(take、連れて行くの意)なら、私の敵、私を何と言いましょう。ハーン、妾と子息と同じ船で執りましたと申すでしょう。私嫌いです」

八雲も漱石も、隙あらば浮気しちゃおうか、なんて卑しい下心は、皆無なのである。

*  *  *

矢島裕紀彦(やじま・ゆきひこ)
1957年、東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒。著書に『心を癒す漱石の手紙』『打つ 掛布雅之の野球花伝書』(以上、小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』『ウイスキー粋人列伝』(以上、文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(宝島社)『文士の逸品』(文藝春秋)『文士が愛した町を歩く』『鉄棒する漱石、ハイジャンプの安吾』(以上、NHK生活人新書)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ出版部)『あの人はどこで死んだか』(主婦の友社)ほか多数。漱石没後百年の2016年、サライ.jpで『日めくり漱石』を1年間連載。グランドセイコー広告の掌編小説シリーズ『時のモノ語り』で2018年度朝日広告賞朝日新聞特別賞受賞。https://atelier1328.com

(この連載を通しての主な参考文献)
『漱石全集』全28巻、別巻1(岩波書店、1993~1999年)/夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)/夏目伸六『父・夏目漱石』(文春文庫、1991年)/夏目伸六『父・漱石とその周辺』(芳賀書店、1967年)/高浜虚子『回想子規・漱石』(岩波文庫、2002年)/松岡陽子マックレイン『漱石夫妻 愛のかたち』(朝日新書、2007年)/荒正人『増補改訂漱石研究年表』(集英社、1984年)/江藤淳『漱石とその時代』第1部~5部(新潮新書、1970~1999年)/『新潮日本文学アルバム夏目漱石』(新潮社、1983年)/『別冊國文学 夏目漱石事典』(学燈社、1990年)/『夏目漱石の美術世界』(東京新聞、NHKプロモーション、2013年)/出久根達郎『漱石先生とスポーツ』(朝日新聞社、2000年)/江戸東京博物館・東北大学編『文豪・夏目漱石』(朝日新聞社、2007年)/平岡敏夫『「坊つちやん」の世界』(塙新書、1992年)/恒松郁生『漱石 個人主義へ』(雄山閣、2015年)/小泉節子、小泉一雄『小泉八雲 思い出の記 父「八雲」を憶う』(恒文社、1976年)/小泉八雲、平井呈一訳『日本瞥見記』上・下(恒文社、1975年)/小泉八雲、平井呈一訳『東の国から・心』(恒文社、1975年)/小泉八雲、平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社学術文庫、1990年)/小泉八雲、池田雅之編訳『虫の音楽家』(ちくま文庫、2005年)/『明治文学全集48 小泉八雲集』(筑摩書房、1970年)/小泉時共編『文学アルバム小泉八雲』(恒文社、2000年)/小泉凡監修『小泉八雲、開かれた精神の航跡。』(小泉八雲記念館、2016年)/池田雅之監修『別冊太陽 小泉八雲』(平凡社、2022年)/池田雅之『小泉八雲』(角川ソフィア文庫、2021年)/田部隆次『小泉八雲』(北星社、1980年)/長谷川洋二『八雲の妻』(今井書店、2014年)/関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』(恒文社、1999年)/梶谷泰之『へるん先生生活記』(恒文社、1998年)/池野誠『松江の小泉八雲』(山陰中央新報社、1980年)/工藤美代子『神々の国』(集英社、2003年)/工藤美代子『夢の途上』(集英社、1997年)/工藤美代子『聖霊の島』(集英社、1999年)/平川祐弘編『小泉八雲回想と研究』(講談社、1992年)/平川祐弘『世界の中のラフカディオ・ハーン』(河出書房新社、1994年)/熊本大学小泉八雲研究会『ラフカディオ・ハーン再考』(恒文社、1993年)/西川盛雄『ラフカディオ・ハーン』(九州大学出版会、2005年)/西成彦『ラフカディオ・ハーンの耳、語る女たち』(洛北出版、2024年)/池田雅之『日本の面影』(NHK出版、2016年)/ラフカディオ・ハーン『小泉八雲東大講義録』(KADOKAWA、2019年)/芦原伸『へるん先生の汽車旅行』(集英社インターナショナル、2014年)/嵐山光三郎『文人暴食』(新潮文庫、2006年)/河東碧梧桐『子規を語る』(岩波文庫、2002年)/『正岡子規の世界』(松山市立子規記念博物館、1994年)/『子規全集』18巻、19巻(講談社、1979年)/『志賀直哉全集』第8巻(岩波書店、1999年)/『芥川龍之介全集』第4巻(岩波書店、1996年)/瀬沼茂樹『評伝島崎藤村』(筑摩書房、1981年)/矢島裕紀彦『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫、2009年)/矢島裕紀彦『鉄棒する漱石、ハイジャンプの安吾』(NHK生活人新書、2003年)/矢島裕紀彦『文士が愛した町を歩く』(NHK生活人新書、2005年)/矢島裕紀彦『文士の逸品』(文春ネスコ、2001年)

 

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