取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。
*
離婚の課題解決型マッチングメディア「リコ活」を運営する株式会社リライフテクノロジーでは、親の離婚を経験した人を対象に「親の離婚経験者の実態」に関する調査を実施(実施日:2023年11月14日・15日、有効回答数:1005人、インターネット調査)。調査では、「両親が離婚してよかったと思うか」の問いに対して、よかったと回答した人の割合は約7割(とてもそう思う23.9%、ある程度は思う44.7%)にのぼった。さらに、「離婚をする際、自分の希望や意見を聞いてもらえましたか?」と質問したところ、「いいえ」と回答したのは51.0%と、「はい(28.0%)」を上まわっていた。
今回お話を伺った優香さん(仮名・41歳)は社会人になる直前に両親が離婚。「自分のせいで母親の幸せを数年奪ってしまった」と後悔を口にする。
経済力のない母親は、私を引き取るつもりはなかった
優香さんは埼玉県出身で、両親との3人家族。サラリーマンの父親と専業主婦の母親。母親からはやや過保護に育てられたが、母親のことは大好きだったと振り返る。一方の父親のことは両親が不仲になってからしか記憶が残っていないという。
「私が小さい頃は、両親は仲良しという感じでもなかったけれどケンカなどはしていなくて、晩ご飯のタイミングで父親が帰って来ることもあって3人で話をしながら食事をすることも多かったです。でも、いつからか食事は母親と2人きりになって、父親は夜遅くに帰って、朝は私が起きる前に早く出て行くようになっていました。週末もずっと父親は寝ていたから、母親との記憶しかないんです。
母親は、私にピアノ、習字、スイミング、塾と様々な習い事をさせてくれて、すべての送り迎えをしてくれました。私の送り迎えをするために免許を取ったと言っていて、私は習い事帰りに車で行く少し大きなスーパーで母親と買い物するのが大好きでしたね」
両親の不仲を優香さんが感じ始めたのは中学生になった頃から。言い合いをする両親の声で深夜に目覚めることもあった。それぐらいの時期から父親は金曜日から月曜日の夜まで帰って来ないようになっていた。
「中学で私はバレー部に入って、朝練で朝早いことも多かったので、朝だけ父親とよく会っていたんです。そのときにするのは朝の挨拶だけ。特に会話はありません。父親は金曜日の朝には少し大きな荷物を持って会社に行きます。そして、次に父の姿を見るのは火曜日の朝。そのことに対して母親が何も言わないので、私も聞いたりしませんでした。深夜に言い合う声などで両親の不仲なのは知っていたし、母親と2人のほうが家は平和だとさえ思っていました」
中学2年生のときに母親から「離婚しようと思う」と伝えられたという。当然のように母親に付いていくと思っていた優香さんだったが、母親から「ごめんなさい」と言われてしまう。
「経済的に、今までと同じような生活をさせてあげられないから……ということでした。母親は『自分1人でギリギリなの。ごめんなさい』と言われてしまって、私はその場で泣くのを必死に我慢しました」
【両親の前で泣いて離婚を阻止した。次ページに続きます】