『人口動態統計』(厚生労働省)によると、2022年の国内で亡くなった日本人は約157万人。これは前年より約13万人多い。高齢化社会で死者の数は増え続け、2000年が約108万人なので1.5倍に増えていることになる。
「火葬場不足、孤独死、遺体修復師、生前葬……死にまつわるニュースを毎日のように聞いていると、このまま一人で死ぬのは嫌だと思ってしまって」と語るのは、美保子さん(63歳)だ。彼女は無職で独身だ。親が残した不動産資産の家賃収入で暮らしている。
「50代のうちはよかったんですが、60代になると孤独が染み込んでくる」という美保子さんには、まともな友達がいなかった。そこで、アプリで“友活”をして、麻央さん(58歳)と知り合う。この半年間、友情を深めるも、パパ活詐欺ならぬ、友活詐欺のような目に遭って傷ついているという。
小学校での4年間のいじめの後遺症
美保子さんはふっくらした体型の柔和そうな女性だ。聞けば資産家の両親が一人娘の美保子さんを溺愛し、「蝶よ花よ」と育てていたことがわかる。
「父親は建設関連の会社を経営していました。1950年代に会社を立ち上げ、1964年の東京オリンピックで事業を拡大。たぶん、父は基地関連の仕事もしていた様子です。私は1960年生まれなんですが、幼い頃にアメリカに行った記憶があります。広い場所に家がたくさん建っていて、プールがあって、金髪の子供がブランコで遊んで。でも、私には米国への渡航歴はありません。父が生きていたとき、聞いたところ、“それはワシントンハイツだよ”と」
ワシントンハイツとは1946(昭和21)-1964(昭和39)年まで渋谷区代々木にあった、米軍将校用の住居施設だ。90万平米以上の広大な土地で住居のほか、劇場やスーパーマーケットがある“街”だったという。
「日本人は限られた人しか出入りできなかったようですね。父はアメ車に乗り、いつもスーツを着てカッコよかった。親分肌で困った人をいつも助けていました。母は元女優で優しい人でした」
美保子さんが生まれ育った時代は、日本が貧しかった時代だ。公立小学校に通っていた美保子さんは、明らかに“浮いて”いたのだろう。同級生からも先生からもいじめに遭う。
「とても激しかったですよ。あの頃は子供ながらに“学校に行かねば人生は終わる”と思っていたし、当時の親はウチみたいに甘い親でも、学校を休むことは許してくれなかった。小3から6年までの丸4年間いじめられると、性格や価値観が歪む。卑屈になるし人間不信になる。でも、年齢に応じた学習と運動ができたことはよかったと思います」
そうはいっても、いじめの後遺症は深刻だ。人に会うと、まず顔色を見てしまう。そして、相手が何を考えているかを読もうとしてしまう。そして下手に出る。意味のない献身をしたり、すぐに謝って相手の機嫌を取ろうとしたり、対等な人間関係を構築できなくなってしまうのだ。
美保子さんと対等に向き合ってくれた高校の先生が「そんな卑屈な態度を取らないで」「持ち上げられると不快だよ」「自分を貶める発言は、あなたを好きでいる私も貶めることよ」などと教えてくれたが、どうしていいかわからず、先生からも距離を置かれてしまった。
誰と付き合ってもうまくいかない。会社でもいじめられていた20代のあるとき、「私がいじめられるのは、小学生のときに受けた、4年間のいじめの後遺症だ」と気付いたのです。
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