承久の乱は、1つの劇的な転換点でした。しかし、戦いに勝利した北条義時は、乱の3年後に急死してしまいます。その後の時代をつくっていったのは、息子の北条泰時です。彼は「和をつくる人」でした。徳政に徹し、権力を独占せず、評定衆による合議制を取り入れ、また、武家の最初の法典「御成敗式目」も制定します。北条泰時が日本の歴史に残したものとは何だったのでしょうか?
教養動画メディア「テンミニッツTV(https://10mtv.jp/lp/serai/)」では、坂井孝一先生の講義「源氏将軍断絶と承久の乱(全12話)」を配信しています。このうちの「承久の乱」に関する3話をピックアップしてご紹介しています。
なお、前編では「後鳥羽上皇との対立の火種」、中編では「その『ありえない』結末とは?」を深堀していきます。
以下、教養動画メディア「テンミニッツTV(https://10mtv.jp/lp/serai/)」の提供で、坂井孝一先生の講義をお届けします。
講師:坂井孝一 (創価大学文学部教授/博士【文学】)
インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
北条義時の跡を継いだ北条泰時の「仁政」
――そうすると、(承久の乱で)朝廷と幕府の関係がガラリと変わります。平家の時代やその後の源頼朝の時代にも、京都の院政と武士との綱引きのような様相が見えるところが何回かありましたが、これで完全に日本の国のかたちが変わったということになるのでしょうか。
坂井 承久の乱が一つの劇的な転換点だったことは間違いありません。この後、朝廷の側が幕府を凌駕するようになるのは明治維新まで待たなければいけないわけですから、本当に本質的な変革であったということができます。
ただ、鎌倉時代の間だけをとってみると、まだまだ、京都は文化的にも経済的にも、ずば抜けた先進地域でしたので、カチッとスイッチが入って、西国に対して東国が優位になったとまでは言えないというところです。ここは、徐々に浸透していくという歴史の流れを理解しなければいけないと思います。そのためにはある程度、平和が続かないといけないし、規範というものが作られないといけません。
北条義時は追討対象、つまり「朝敵」になったわけです。朝敵になってもなおかつ、(北条)政子の演説などいろいろのことがあり、後鳥羽方の京方を打ち破って変革を成し遂げた、歴史的な人物だったわけです。そのストレスなのかどうか分かりませんが、承久の乱の3年後に亡くなってしまいます。その跡を継いだのが、ちょっといろいろありましたが、北条泰時です。
泰時は六波羅探題としての経験をもとに、鎌倉に戻ってきて仁政(徳のある政治)を行っていくようになります。義時とは違い、泰時の場合は兄弟の中でもライバルになる人たちがいました。そのため、泰時はあえて自分だけが特別に図抜けた権力を握ろうとはしませんでした。むしろ、いろいろな人に配慮して、合意を得て、事柄を進めていく方向性を模索するような時代をつくっていきます。
評定衆による合議と「御成敗式目」の制定
坂井 (当時は)まだ三寅も幼く、元服は9歳ぐらいでするものの、まだまだ独立して将軍権力を行使することはできません。そこで「評定衆」という有力御家人たちが集まって評議をする。しかも、そのときの発言は「くじ」で選び、上下関係を作らないようにして評議をするというようなことを決め、合議制によって話を進めていく。合議であるがゆえに、その結論には「意味」も「力」もあるという政治体制を、あえて作るようにしていきます。
そして合議をしたり、裁判の判決をくだしたりするときには、強い将軍権力があれば「将軍の命令だ」で済むのですが、御家人たちの合議ですから、何か「規範」が根拠としてないと困るわけです。
ということで、ちょうど寛喜の飢饉が起きたときに、泰時は徳政(徳のある政治)を行うのですが、その徳政の一環として、武家の法典として最初のものと言われている「御成敗式目」を制定します。
もちろん最初に作ったものなので、後世の人間が考えるような法典というよりは、どちらかというとその時点、承久の乱以後の情勢における問題点を解決するためにあるような条文が、数多く入っています。
また、これは恐らく2段階で作られたものだと考えられています。最初のものは、本当に徳政の一環として、政治をきちんとし、うまく収めるために作った規範だったようです。それが後々増補もされて、いろいろ形も変えられて、今われわれが読むような御成敗式目51カ条になったというような研究がなされています。
それにしても、この式目を作ったときの北条泰時の発言が残っています。「これは律令や朝廷の規範を侵すものではない。武士の慣例などをまとめたものであって、朝廷には影響を与えるものではありません」ということが明言されているわけです。そういうところから見ても、西と東が完全に逆転したのかというと、必ずしもそうではないことが分かります。
鎌倉と京都、二つの極の誕生
――ここで、日本ならではの「二重の法律体制」といいますか、形骸化してきたとはいえ古くからの「律令」があり、かたや実体的な法律としての「御成敗式目」がある。ある意味では非常に日本的な、いろいろなものが、ないまぜになって動いていくという姿ができあがってくるわけですね。
坂井 「律令」は朝廷のほうの法典としては憲法のようなものです。ただ、さすがに貴族たちも、歴史学上は「公家新制」といいますが、その都度、その都度、問題に応じて、ときに何十カ条(50カ条以上)もある法律を、まとめてバーンと出すことがあるのです。ですから、それと「御成敗式目」が抵触するわけではないという意味で考えたほうがいいと思います。
いずれにせよ、いくつもの法律がそれぞれの地域で並び立っている状況が生まれています。戦国時代になりますと、今度は(戦国大名が自分の)領国でそれぞれが家法を作っていきます。戦国法は分国法と言って、地域によってまったく違う法律が機能しているということになります。そこまでひどくはないですが、(鎌倉時代も)東と西でちょっと違う。
結局、後嵯峨上皇が院政を行っている時代(寛元4〈1246〉年~文永6〈1272〉年)、その息子の宗尊親王が鎌倉幕府の将軍になっている時代(建長4〈1252〉年~文永3〈1266〉年)というのは、日本全国の規模でいうと非常に安定的な世の中に変わっています。
そして、二つの極ができる。要するに、かつては京都だけが一つの極だったのが、鎌倉と京都という二つの極が併存する。そういう時代に移り変わっていったというふうに見ることができます。
温厚で和を尊んだ泰時の性格
――最後に、北条泰時の人物像についても、少し教えていただきたいと思います。合議制を取り入れたり、御成敗式目を作ったりという話を聞くと、ある意味では、非常に合理的な発想をする人だというところもありますが、テンミニッツTVで賴住光子先生が明恵上人の話をしてくださったことがあります。明恵上人は、「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」という話をしたそうですが、実は泰時も明恵の考え方なども取り入れたりしたと言われたりしています。彼は多くの文化人と交流して考えを高めていくようなタイプの人だったのでしょうか。
坂井 そうですね。泰時の場合には、いろいろな史料にいろいろなかたちで出ていますが、非常に頭がよく、温厚であり、人の意見をよく聞く。何でも武断的に決めるのではなく、文治的で、徳政といわれるように徳のある善政をしようという意志が非常にはっきりと出ています。当時は「撫民」という言葉(=民をいたわること)がありますが、その撫民に対しても非常に意識が高かったと思われます。
さらに、三代執権になるときにも、兄弟の間でいろいろ問題がありましたが、(泰時は)義時の財産相続における自分の取り分を非常に少なくしています。不満のないように他の人の取り分を多くするといった、「和」を尊んだ配慮が極めて適切にできる人です。
ですから、その根底にあるのは「人情味」なのかもしれません。情に厚いところは確かにあります。「武断的にならない」というところには、そういう情の厚さのようなものが根底にあるので、なんとかうまく話し合いで決着をつけたらいいのではないかという方向性に進んでいくのだと思います。
それと、「トップである源氏将軍がいなくなった状況をまとめていくには、どうしたらいいか」などといった、あらゆる状況をうまく組み合わせ、自分のなかでかたちにしていった人なのだろうというふうには思っています。
和をつくる人・北条泰時が出現した意味
――御家人があれだけ殺しあった後に、そういう北条泰時のような人物が出てきた。しかも泰時のようなタイプが、武家政権が確立したときの「初代」というのが適当かどうか分かりませんが、極めて初期に出てきたというのは、その後の日本の歴史にとっても大きな意味がありそうですね。
坂井 そうですね。泰時を陰から支えてくれたのが8歳上の叔父である北条時房です。時房もなかなかの文化人で、北条義時のような冷徹な政治家とは少し違っています。ですから、2人とも和歌を詠みますし、ちょっと文化的な「文武両道」の人です。時房がいてくれたことによって、泰時は救われたところがたくさんあると思います。
ですから、人と人とのつながりで和をつくる、敵対関係を先鋭的なものにしないという工夫を、自ら進んでどんどんやっていく。人も、泰時というのはそういう人物だから、といって慕ってくる。あるいは泰時を支持してくる。そのようにさせるだけのパーソナリティがあったのだろうと、私は考えています。
――歴史をたどってくるからこそ、泰時という人物像の興味深さも強く出てくるような気がいたしました。本日はまことにありがとうございます。
坂井 ありがとうございました。
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