「言葉の天才」と呼ばれた永六輔さん。その「言葉」によって、仕事や人生が激変した著名人は数知れない。永さんと長く親交があったさだまさしさんと孫・永 拓実さんが、「人生の今、この瞬間を有意義に生きるヒント」をまとめた文庫『永六輔 大遺言』から、今を生きるヒントになる言葉をご紹介します。
文/永拓実
常識から外れた「危険なもの」を否定せず、取り入れる
祖父は「何も知らない」ことを武器にして、「新しいもの」を生むことができる人でした。しかし、最初はそれでいいのですが、経験を積んで常識が身に付けば、その武器はなくなってしまうはずです。それでも祖父の勢いは、ベテランの域に達してからも止まりませんでした。
台本のないフリートークのラジオ番組、日本初の旅番組、バラエティ番組での女子アナの起用。祖父が生んだ「新しいもの」は、今でも残り続けています。
祖父の発想力はどのように維持されていたのか。時代は違えど、それがわかれば、僕たちが「新しいもの」を作るときの大きなヒントになるはずです。
同じく発想力豊かなタモリさんが、その手がかりとなるエピソードを紹介してくれました。
今でこそ芸能界で不動の地位を築いたタモリさんですが、もともと「キワモノだった」とご自身は振り返ります。福岡から上京し、芸能人が集まる場所で「密室芸」(表舞台ではあまりできない芸)を披露して噂が広まっていたタモリさんですが、その危険な芸風ゆえに、メディア出演の機会は全くありませんでした。
そんな時期に祖父と出会いました。サングラスをかけ、芸を披露して笑いをとったかと思うと、急にパンツ一丁になって走り回る。タモリさんの奇妙さと個性に祖父は惚れ込み、NHK番組『テレビファソラシド』のレギュラーに抜擢しました。
タモリさんは、一連の経緯についてこう打ち明けます。
「芸能界のことをまだ何も知らなかったから、今思えば本当に奇妙な存在だった。でも永さんはその奇妙さに目をつけて、番組で使ってくれた。世の中や文化を変える人は、軽佻浮薄(けいちょうふはく)なくらいでいいって、考えてらっしゃったんじゃないかなぁ」
その考え方を裏付けるような言葉を祖父は遺しています。
〝プロとアマチュアの狭間にあるような怪しい場所から、いつも新しいものが生まれてくる〞
常識から外れた「危険なもの」を否定せず、取り入れる。その柔軟性こそ、新しいものを生み続ける秘訣なのかもしれません。
永六輔の今を生きる言葉
新しいものを生むためには、「危険なもの」にも目を向けよう
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『永六輔 大遺言』(さだまさし、永拓実 著)
小学館
2022年7月6日発売
さだまさし
長崎県長崎市生まれ。1972年にフォークデュオ「グレープ」を結成し、1973年デビュー。1976年ソロデビュー。「雨やどり」「秋桜」「関白宣言」「北の国から」など数々の国民的ヒットを生み出す。2001年、小説『精霊流し』を発表。以降も『解夏』『眉山』『かすてぃら』『風に立つライオン』『ちゃんぽん食べたかっ!』などを執筆し、多くがベストセラーとなり、映像化されている。2015年、「風に立つライオン基金」を設立し、被災地支援事業などを行なう。
永拓実(えい・たくみ)
1996年、東京都生まれ。祖父・永六輔の影響で創作や執筆活動に興味を持つようになる。東京大学在学中に、亡き祖父の足跡を一年掛けて辿り、『大遺言』を執筆。現在はクリエイターエージェント会社に勤務し、小説やマンガの編集・制作を担当している。国内外を一人旅するなどして地域文化に触れ、2016年、インドでの異文化体験をまとめた作品がJTB交流文化賞最優秀賞を受賞。母は元フジテレビアナウンサーの永麻理。