前回訪れた高砂にも近い「須磨」(すま)。ここも、「高砂」や「住吉」と同じく歌枕の地であり、古来、様々な物語の舞台となってきた。
平安前期の貴族で、歌人の在原行平(ありわらのゆきひら、818〜893)は、ある咎により須磨に流されたが、そこで、松風・村雨という海女の姉妹と出会い寵愛した。三年後、都へ戻ることになった行平は、形見として身につけていた烏帽子と狩衣を残して須磨を去り、姉妹は尼となった後も行平を思慕し続けたという。
『源氏物語』の「須磨」「明石」も、この行平流謫(るたく)の物語を下敷きに描かれたとされている。そして、世阿弥は、この物語に拠る古い能『汐汲(しおくみ)』を改作して、『松風』の能を書いた。
秋の夜、月の浜辺に現れる二人の汐汲女が纏う水衣の儚さ、後半、松風の幽霊が形見の烏帽子と狩衣を纏い、松の木を行平と見て執心が募って舞いはじめ、松に寄り添う……。まさに幽玄の世界を現出させる『松風』は、古くから愛好され、「熊野(ゆや)松風に米の飯」——熊野と松風の能は米の飯のように何度味わっても飽きない——と譬えられてきた。
神戸市須磨区離宮前に「松風村雨堂」がある。行平が都へ戻った後、その居宅に松風村雨が庵を結び棲んだ。その旧跡だと伝わる。
数段の階段を登ると、左手に観音堂、行平が植えたという磯馴松(そなれまつ)、狩衣を掛けた衣掛松(きぬかけのまつ)、松風・村雨の名が刻まれた供養塔などがひっそりと佇んでいる。
【松風村雨堂】
所在地/神戸市須磨区離宮前町1丁目2
アクセス/山陽電車「須磨寺駅」から東へ、徒歩約7分
JR・山陽電車「須磨駅」から、市バス71・72・75番系統「村雨堂」下車すぐ
堂を後にして、須磨海岸へと向う。夏は海水浴客で賑わうというが、季節外れの夕陽沈み行く海岸は人もまばらだ。
「あはれ古(いにしへ)を思ひ出づればなつかしや、行平の中納言、三年(みとせ)はここに須磨の浦……」、まるで二人の古跡を訪ねる諸国一見の脇僧となったような気分で、『松風』の謡の一節が浮かぶ。
古の悲恋に思いを寄せる余情、これも能の醍醐味に違いない。
写真・文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。