文/印南敦史

家の料理を誰が作るのかと問われれば、多くの方は「妻」と答えるかもしれない。

たしかに、外で働くことが男の役割だと考えられていた時代には、妻も料理を作ることを厭わなかっただろう。しかし、もうそんな時代は終わっているのだ(あるいは終わりつつあるのだ)と指摘するのが、『かんたん、手抜き、うまい「おとこ飯」―定年からの料理への旅立ち』(新講社)著者の大島清氏である。

定年後は「食べることを楽しむ生き方」を

人生八十年としてみよう。
いま六十歳の人ならあと二十年が平均的な残り時間だ。この二十年で何食、食べられるか。二十年×三百六十五日×三回として計算すれば、二万千九百食になる。
これに三を掛ければ過去六十年に食べた食の数が出てくる。六万五千七百食である。
残された食を多いと見るか少ないと見るかは、それぞれの感じ方である。
しかし、こういう考え方ができるはずである。男性ならば、過去六万五千七百食のほとんどは母親が作る料理であり、妻が作る料理であり、店の人が作る料理(外食)であったという人が多いはずだ。
それでは、残り二万千九百食は誰が作るのだろうか。
(本書「はじめに●『おとこ飯』こそ定年人生の必修科目」より引用)

すべて外食ですますにはお金がかかりすぎるし、食材や調味料への疑問も残る。食うことが生きることである以上、それを人任せにすることはできない。そう考えると、外食を続けることにも抵抗感が残る。だからこそ、定年を過ぎたら料理に挑戦すべき。それが、本書に通底する考え方である。

本書は(中略)、定年後の生き方を「食べること」を通して描くものである。一言で言えば、「食べることを楽しむ生き方」の発見と実践である。
快活な定年人生、愉快な老後はいかに美味しく食べるかにかかっている。
(本書「はじめに●『おとこ飯』こそ定年人生の必修科目」より引用)

とはいえ料理は、とても奥が深い。その理由のひとつとして、著者はレシピの多さを引き合いに出している。その数は数千、数万におよぶわけだから、それらを全部食べてみようと思ったら人生を一からやりなおしても時間が足りないということである。

そして、もうひとつのポイントは料理の創造性で、そこには“天才”の役割が不可欠だと論じている。料理の実践は、天才たちがいくらでも登場することのできる創造のエリア。そして“天才”たちの多くは“主婦”という生き方をし、自分が天才であることなど露知らず、市井に埋もれて生活しているというのだ。

その存在は決して目立つものではないかもしれないが、彼女たちにしかできない創造的な味、すなわち一杯の味噌汁や一皿の得意料理は、アインシュタインの発見にも劣らないという考え方である。それこそが、料理の創造性だということだ。

おもしろいのは、医学博士である著者が、料理の創造性を脳と紐づけている点である。創造的な脳は老化知らずであるため、創造的なことをやっている限り老化、ボケは近づいてこないのだという。だから、それもまた定年人生で料理が格別な意味を持ってくる理由のひとつだというのである。

創造的な活動である料理でボケを防止しよう

定年を迎えるということは、じつはこのアインシュタインや主婦たちだけが密かに楽しんでいた創造の快楽に浸る時間に参加できるということである。
快活な定年人生、愉快な老後はいかに美味しく食べるかにかかっている。
(本書「はじめに●『おとこ飯』こそ定年人生の必修科目」より引用)

なるほど、そう考えてみれば、料理も決して難しいものではないような気がしてくるのではないか。しかも意外なことに、かつて仕事の場でさまざまな試練を体験し、乗り越えてきた世代には大きな武器(ノウハウ)があるのだそうだ。すなわち「段取り」上手だということだ。

手順を考え、ショートカットし、省エネを心がけ、素早く結果を出す。仕事を通じ、そんなノウハウを磨いてきたからこそ、今日の定年がある。だからこそ、そのノウハウを利用しない手はないという発想である。『「手抜き」であろうと、『いい加減』であろうと、『浅知恵』であろうと、料理は結果がすべてである』という一文は、結果を出すために生き抜いてきた男性諸氏にとっては心強いだろう。

いってみれば「早い」「短時間でできる」「かんたん」、そして「楽しい」ことが重要。早い話が、素早くおいしいものができればよいということである。だから本書も、レシピがメインになっている。とはいえ女性向け雑誌に載っているようなそれではなく、著者の見方や感じ方がふんだんに盛り込まれた“読んで楽しめるエッセイ風レシピ”。

だから読み進めていくうちに、いつの間にか「これをつくってみたい」「それにも挑戦してみたい」というように、能動的な気分になれるはず。料理への好奇心を具体的な行動につなげられないままだった人には、格好の一冊なのである。

【今回の定年本】
『かんたん、手抜き、うまい「おとこ飯」―定年からの料理への旅立ち』
(大島 清著、新講社)

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文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載「七人のブックウォッチャー」にも参加。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)などがある。

 

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