文化人でもあった霊元天皇
霊元天皇(れいげんてんのう・1654-1732)は第112代天皇。後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の第16皇子で、10歳で即位。当初は後水尾法皇の院政がしかれていたが、法皇の崩御後には自ら執政した。34歳で東山天皇に譲位したのちは幕府の反対を黙殺して院政を開始した。歌人、能書家としても有名。
霊元天皇は退位して仙洞御所(せんとうごしょ)で長く院政をおこなったため、「仙洞様」と呼ばれた。
当代一流の文化人でもあった霊元天皇は、書物を読みふけって目を酷使することも多かったのだろう、目の病に悩んでいた。霊元天皇が用いたといわれる眼鏡が今に伝わっていることから、視力はかなり悪かったと思われる。
眼病に霊験(れいげん)ありといわれる柳谷観音楊谷寺
あるとき、霊元天皇は、眼病に霊験(れいげん)ありといわれる柳谷観音楊谷寺(やなぎだにかんのんようこくじ・京都府長岡京市)を訪れ、「独鈷水(おこうずい)」と呼ばれる湧き水で目を洗ったところ、眼病が治癒したという。
このことがきっかけとなり、楊谷寺は明治に至るまで、この独鈷水を朝廷に献上したといわれる。現在も楊谷寺の独鈷水は湧き出ており、目の健康を祈る多くの人々がこの霊水を求めて参拝にやってくる。
文/内田和浩