取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちを迫ります。
今回お話を伺ったのは、達也さん(仮名・40歳)。現在、大阪にあるIT企業でプログラマーとして働いています。達也さんは32歳の時に結婚して、現在は奥さんと2人の男の子との4人で暮らしています。
姉とは異父兄弟。それをまったく感じないほど、家族仲は良かった
達也さんは大阪府の郊外出身で、両親と5歳上に姉のいる4人家族。母親は再婚で、お姉さんとは異父姉弟だったと言います。
「僕が生まれる前に母親は離婚して、僕の父親と再婚しました。なので、姉とは異父姉弟。でも、その真実は小学生の時に、姉から聞かされて知りました。姉は当時高校生で両親から話されたそうです。その現場にも立ち会っていないので、どのように話したかは知りませんし、小学生だった僕はそこまで衝撃を受けなかったというか、そうなんだって思ったくらいでしたね」
物心ついた頃から両親は共働き。学校から帰って母親が帰宅するまでは、お姉さんとその友人たちが遊んでくれていたことをぼんやり覚えているそう。
「どのくらいの時期かはまったく覚えていないんですが、学校から帰ると首に紐でぶら下げていたカギを使って家に入り、姉が帰ってくるのを待っていました。姉は家によく友人を連れて帰ってきていたので、その中に入って一緒に遊んでもらっていた記憶が残っています。何をして遊んだかは覚えていないんですけど、姉の友達の1人が僕にとても優しくて、お菓子をくれたり、宿題を手伝ってくれていましたね」
達也さんの記憶の中にある幼少期の家族仲は良好。4人でよく祖母の家に出かけており、家の近くにある銭湯に行くのが大好きだったと語ります。
「母方の祖母の家によく家族で行っていました。祖父は僕が生まれる前に亡くなっていて、母親も1人娘だったこともあり、父方の祖父母の家よりも母方の祖母の家に月に1~2度は行っていたんじゃないかな。祖母の家は昔の一軒家でお風呂が広くて古く、すきま風なのかとにかく寒い。僕は祖母の家のお風呂が嫌いで、近くにあった銭湯に連れて行ってもらっていました。小さい頃って男の子でも女湯に入れたじゃないですか。でも、当時の僕は男扱いされていない感じが嫌で仕方なかった。それに母親は一緒に行っても何も買ってくれない。一方で父親と行くお風呂は大好きでした。お風呂上りにはコーヒー牛乳やフルーツオレなどを絶対に買ってくれたし、お風呂から出たら準備にモタモタすることなくすぐに帰れたし。僕は今でも銭湯が大好きなんですが、小さい頃のいい思い出がきっかけになったんじゃないですかね」
【一人暮らしを始め、家族とのつながりは薄くなっていった。次ページに続きます】