大学進学を機に家を出た姉。自身もその7年後に一人暮らしを始め、家族とのつながりは薄くなっていった
お姉さんとの異父兄弟を知ってからも家族に大きな変化は見えなかったそう。しかし大人になってからの姉からの打ち明け話により、当時何も見えていなかったと達也さんは当時を振り返ります。
「姉曰く、中学時代の反抗期を経て落ち着いたタイミングで両親から父親が違うと話されたと。そこで小さい頃からの違和感から、やっぱりと思ったそうです。その違和感とは僕が父親にとても似ていたのに自分はちっとも似ていなかったということ。それに、赤ちゃんの頃の写真が僕ばかりだったことが気になっていたんだそうです。当時の僕はまったく気づいていませんでした。姉が母親と言い合うところは少しだけ覚えているけど、父親と揉めている記憶はなかった。姉は僕への態度も一切変わらなかったですから」
達也さんが中学生の頃にお姉さんが大学進学に合わせて一人暮らしを始め、三人暮らしに。その頃には思春期に入っていた達也さん自体も家族との会話は減り、高校生時代も家族のことで覚えていることは何もないと言います。
「姉は岡山の大学に進学したことで家を出て行きました。姉がいなくなってからも特に寂しいといった記憶は残っていないかな。お正月やお盆などには姉は帰って来ていたはずですが、僕自身が学生時代の記憶がほぼ友達で(苦笑)。当時は生まれて初めて彼女ができたり、新しいゲーム機が出たばかりの頃でゲームの攻略本を読み漁っていた記憶しかありません……(苦笑)。
僕は高校卒業後に専門学校へ進学して、その2年後に家を出ました。最初の就職も大阪です。当時はとにかく一人暮らしをしたくて仕方なかった。一人暮らしを始めてから家族のことはまったく考えることがなくなりました。
それから家族について考える機会は祖母が亡くなった時でした。親戚の悪意のある言葉にびっくりしたことを覚えています」
祖母の姉妹から聞こえてくる悪意のある言葉。そして互いが大人になってから姉が語った当時の本当の気持ちとは。
【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。