取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「完全にいなくなったときにはせいせいした気持ちでいっぱいだったのに。今さらこの気持ちが何なのか、自分自身も説明できなくて戸惑っています」と語るのは、芹那さん(仮名・46歳)。彼女は30歳のときに結婚して、現在は旦那さまとの二人暮らしです。母親の死後は父親とは一度も会っておらず、絶縁状態だったと言います。
勉強、お金すべてを父親に管理されていた
芹那さんは愛知県出身で、両親との3人家族。芹那さんの家は代々不動産業を行っており、父親は複数のビルを所有していて、小さい頃から裕福ではあったと振り返ります。
「裕福といっても何でも買ってもらえたわけではなく、家には高そうなものがあったり、小さい頃から海外旅行に連れて行ってもらったりしたから、そう感じていただけです。私と専業主婦だった母親の買うものはすべて父親が管理していて、余分なものを買うことは許されていませんでした。私は小さい頃は折り紙が大好きで、折るというよりも収集癖があったんですが、欲しいもの見つけて母親にお願いしてもその場では買ってくれません。百円ぐらいのものでも父親の許可が下りるまで数日が必要でした。何か欲しいときは直接父親に言ったほうが早いとは思いつつも、直接何かを頼めるような関係ではありませんでした」
父親の管理はお金に関するものだけでなく、学校の成績、習い事の進捗なども行われていたそう。
「学校のテストなどはすべて父親に渡さないといけませんでしたし、家での勉強時間もきっちり決められていました。習い事は塾、習字、ピアノをしていたんですがどのページまで学習が進んだのかを伝えなければいけませんでした。母親は父の監視役という立場でしたね。習い事がない日には友人と遊ぶことは許されていましたが、どこかに行くのではなく私の家で遊ばないといけなくて。私の家にはおもちゃが少なかったから次第に友人は私の家に遊びに来てくれなくなりました」
【結婚相手だけは、父の言いなりにはならなかった。次ページに続きます】