新しい生活様式を求められるようになって、多くの人が毎日の生活に息苦しさを感じていることでしょう。そして多くの人が、これまでの「楽しむ場所」や「楽しむ時間」を奪われ、「楽しみを共有する人」と接触することも抑制されてしまっています。そうした大きな環境変化によって、引きこもりや、鬱症など様々な精神疾患に陥ってしまう人が多くなっているようでございます。
しかし一方で、コロナ禍の環境変化を、あたかも楽しんでいるかのように、変化する環境に見事に適応し光り輝いている人達も現れています。こうした状況を見ておりますと、卓越した生物学者チャールズ・ダーウィンが残した言葉とされる、
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が残るのでもない。唯一生き残るのは、変化する者である。」
という名言が思い出されます。ここでいう処の“変化する者“とは、“環境の変化に適応できる者”とも解釈ができます。よ〜く観察いたしますと、“環境の変化に適応できる者(人たち)”の特徴として「物事を楽しむ心」を持っているように思うのであります。
人間どうしても、「したいのに、できない」となりますと、不満が募りフラストレーションが溜まってしまうようでございます。「物事を楽しむ心」を持った人たちは、新しい生活様式の中で、新たな「楽しめる場所」や「楽しめる時間」を、上手に見つけ出せているように思います。そうしたことが、ダーウィンの言うところの「唯一生き残れる、変化する者(人)」に通じるのではないでしょうか?
「心磨く名言」第四回目は、幕末期の江戸幕府において大老を務め、開国派として日米修好通商条約に調印し、日本の開国を断行、近代化への道を開いた井伊直弼の名言を取り上げてみました。
不遇とも言える幼少期を過ごした井伊直弼。彦根藩主の息子とは言えども、母親は側室であり、かつ十四番目の男子であったことから跡継ぎの座につけるなどとは、本人はもとより誰も思っていなかったでしょう。その後、思わぬ偶然が重なり、藩主へ。その後は幕閣の一人として、活躍するようになるわけです。
こうして彼の人生における生活環境の変化を見てみると、“環境変化に見事に適応できた人”であったと言えるのではないでしょうか? コロナ禍において、身の回りにどのような環境変化が起ころうとも「物事を楽しむ心」を持ち、生き抜いていただくために、今回の井伊直弼の名言は、お役に立つのではないでしょうか?
■井伊直弼の人生
井伊直弼は、幕末の彦根藩主で、江戸幕府の大老を務めた人物です。ペリー来航を受けて、朝廷の許しのないまま、日米修好通商条約を結びました。その後、反対派を「安政の大獄」で弾圧したものの、「桜田門外の変」で暗殺されたという激動の人生を送った人物として知られています。
一見すると、血も涙もない専制的な悪人のイメージをもたれやすい井伊ですが、違った一面も持ち合わせていました。32歳で家の跡取りになるまでは、茶道、居合、禅、能、歌道に打ち込み、教養の習得に励んだと言われています。この頃についたあだ名が「ちゃかぽん」。「ちゃ」は茶、「か」は歌道、「ぽん」は能の太鼓の音のことを意味します。
もし何事もなければ、市井の一文化人として世を終えるはずであった井伊ですが、偶然の重なりから彦根藩主となり、そこでは領内の病人や貧民を助ける慈悲深い政策で支持されました。大老としての政策のイメージが先行しがちな井伊ですが、その生涯全体を概観してみると、意外な一面もうかがえます。
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「人生はいつ、どう転んでもおかしくない」、そんな表現がぴったりな井伊直弼の人生を知ると、彼の名言に一層の重みを感じるものです。歴史は強い説得力を持って、我々に語りかけてくれます。
多くのことが制限され、これまでの日々から変わらざるを得ない日常の中で、我々は何を指針に生きていけばよいのでしょうか。今回ご紹介した「物事を楽しむ心」は、その一つの回答であるように思われます。変化に過剰に抗うのではなく、それを受け入れ、楽しみに変える。そんなしなやかな強さが、今は求められているのかもしれません。
肖像画/もぱ
文・構成・アニメーション:貝阿彌俊彦・豊田莉子(京都メディアライン)
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