このところの、世の中の出来事を眺めておりますと、どうも日本人の美意識というものが変化してきているように感じます。なかでも「潔さ」ということついては、言葉そのものが日本人の意識から完全に消え失せてしまったかのような気さえしております。
その理由として、つとに「潔い人」が周りに居なくなったからではなかろうか? と思うのであります…。そもそも、日本人の美意識の中にある「潔さ」とは如何なるものでありましょうか?
辞書を引いてみますと…「思い切りがよい。未練がましくない。また、さっぱりとしていて小気味がよい」とあります。
言葉の意味に照らして、改めて世間を見回しても、それにピッタリと当てはまる人が直ぐには見当たらないのです。これは、日本人の一人として甚だ寂しく、悲しいことであります。「潔い人」は、いったい何処へ行ってしまったのでしょうか?
人様のことはともかくとしまして、己の生き方を顧みた時、果たして「潔い」生き方をしてきたであろうか? と自問自答してみるに、全くもって自信がございません。これまでの人生については、深く悔い改めるとして、さて、これからの半生において誰を手本とし「潔く」生きるべきか? と歴史を紐解いてみました。すると、維新の三傑と称された西郷隆盛公が、次の様に評した人物がおられました。
「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」
どう考えてみましても、その御仁の域に達することは到底叶わぬとは思うのではありますが、せめて残された名言を読み、心を磨きたいと思うのであります。
「心磨く名言」第三回目は、幕末の「三舟の一人」 山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)の名言を、取り上げてみました。
彼の名言を熟読、熟考いたしますと、動乱期を生きた人々は、日々の生活において、常に「死」というものを意識し、「何故に人間として、この世に生を得たのか」を己に問いかけていたのではないでしょうか。
そして、己の事を考えるより「天下、国家、社会全体の公益」のことを、念頭におき行動していたことがエピソードや言葉から伺うことができます。
したがって「潔い人」とは、志高くして社会的な見識を持ち、己を厳しく律することのできる人の「思考特性」であり、「行動特性」であるように思えます。あの世とやらへは「魂」しか持っていけないようでございます。
さすれば、サライ世代が今後の半生を見通す時、山岡鉄舟の名言の意図するところを深く考え、心を磨いてみてはいかがでしょうか?
■山岡鉄舟の人生
山岡鉄舟は、江戸末期から明治の剣術家であり、政治家であった人物です。非常に武術に長け、その腕前は自ら道場を開き、新たな剣術の流派を生み出すほどでした。
幕臣としての山岡は、徳川幕府から明治政府への江戸城の受け渡し、通称「江戸無血開城」の立役者として有名です。勝海舟の使者として西郷隆盛を説き、両者の会談を実現させたことで江戸城の無血開城を導いたと言われています。
その後の明治新政府では、西郷の強い勧めで、明治天皇の侍従として宮内省に出仕することになりました。まだ若く、豪放な振る舞いで、周囲が手を焼いていた明治天皇。そんな彼を時には諫め、立派な君主に導く最適な人物として見なされた山岡は、人として高い評価を得ていたことがうかがえます。
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今も我々の心を掴んで離さない、山岡鉄舟を始めとする幕末の英雄たち。彼らに惹かれるのは、その生涯の「潔さ」からではないでしょうか。それは、単なる自己犠牲精神ではありません。自らと国家を一心同体とするその姿に、“人”として生きる真の理由を見いだすのだ、と思われてなりません。
コロナ禍の現在、日本中の人々が、個人の自由と社会全体の安全との間で揺れたことでしょう。一人の人間として、社会とどう向き合うことが「潔い」生き方なのか―。山岡鉄舟の言葉とその生涯が、それを見つめ直すきっかけとなってくれるように思います。
肖像画/もぱ
文・構成・アニメーション:貝阿彌俊彦・豊田莉子(京都メディアライン)
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