取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内で旦那さまと子どもとの3人暮らしをしている笑美さん(仮名・34歳)。笑美さんは千葉県出身で、両親との3人家族。仲良しだった家族は父親の不倫により崩壊、高校生になったばかりの頃に両親が離婚します。一度は父親と一切連絡を取らなくなったそうですが、大学進学や母親が父親の話題を出すようになったことで徐々に関係は復活していきます。
「父親の不倫を知ったときは本当に気持ち悪くて、一生許せないと思っていました。でも、私も単純なので、母親が許しているようだったこと、大学進学のお金を出してもらうことなどで徐々に態度が軟化していきました。久しぶりにあった父親に女の気配はなくて、離婚してからのほうが母親もイキイキとしていたから、こんな家族関係もありだと思っていたんです」
結婚、出産で両親は離婚前よりも仲良しに
笑美さんは大学を卒業して4年後の26歳のときに大学で知り合った同い年の男性と結婚。旦那さまの家はすでに両親が他界されていて、結婚式は笑美さんの両親と旦那さまのお兄さんなどの親族だけのアットホームな雰囲気の中で行われたそう。
「夫は小さい頃に母親を亡くしていて、父親も社会人になったばかりの頃に……。親族にはお兄さん家族がいたので、私の両親だけのこじんまりとした結婚式を行いました。教会の式とレストランでの食事だけでしたが、私の両親はとても嬉しそうで、その顔を見れたことが一番、式をやってよかったと思いました。そのときの両親はとても仲良しで夫婦だったときよりも会話が弾んでいるようでしたね。離婚はしているけど、こんな夫婦になりたいなって素直に思えました」
結婚から2年後に笑美さんは妊娠、翌年に元気な女の子を出産します。産後の体調不良に見舞われたときにも両親は力を合わせて笑美さんのサポートをしてくれたと言います。
「妊娠中よりも出産後のほうが体調を悪くして、フラフラだったんです。ひどい頭痛やめまいなどでロクに家事もできませんでした。そんなときに私の家から車で2時間ぐらいかかる距離にいた父親が車で病院などの送迎をしてくれ、私の家事を手伝いに来てくれる母親の送迎も担当してくれて。当時父親は飲食店を経営していて時間があったみたいで。母親も免許を持っていたんですが、私が高校生のときに一度物損事故を起こしてから怖くて運転できなくなってしまっていて、実家の車は処分していたんです。義両親はいないし、夫のお兄さんのお嫁さんにも頼みにくいですから、両親の団結は本当にありがたかったです」
【許せない思いはどこから?自分の娘を父親に会わせたくない。次ページに続きます】