取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「父親には二度も裏切られたという思いがあります。でも、その思いが娘からおじいちゃんを奪う理由にはならないとはわかっているのですが……」と語るのは、笑美さん(仮名・34歳)。彼女は現在、都内で旦那さまと子どもとの3人暮らしをしています。実の母親とは頻繁に連絡を取っているようですが、父親とはあることがきっかけで疎遠になっている状態とのこと。
父親はいつも私のわがままに付き合ってくれた
笑美さんは千葉県出身で、両親との3人家族。小さい頃はわがままで自分勝手で、相当世話のかかる子どもだったと自身のことを振り返ります。
「私は覚えていないんですが、母親が口癖のように言うんです。『自分の気に食わないことがあると泣き叫んで抵抗するような子だった』って。他にも食事中嫌いなものが出たらまったく手をつけなかったり、習い事を習わせても先生とケンカをして勝手にやめてきたり……。習い事のことは覚えていて、ピアノの先生とケンカして、楽譜もカバンも持たずにそのまま飛び出して家に帰りましたね。後からカバンを引き取るときに、母親は先生に謝ったみたいですが、ピアノはそれっきりでした(苦笑)」
当時専業主婦だった母親は厳しかったものの、父親はそんな笑美さんのわがままにもとことん付き合ってくれていたとか。
「父親は都内に勤めるサラリーマンだったんですが、帰りは早かったと思います。よく平日にも一緒にお風呂に入っていた記憶が残っていますし、土日も一緒に出かけることが多かったですね。母親と違って父親は優しくて、私はそんな父が大好きでした。今まで本気で怒られた記憶もなくて、ちょっと友人と遠出をしたりするといつも駅まで迎えに来てくれるような過保護な父親でしたね」
家族3人で出かけることもあったそうですが、それは笑美さんが中学に上がる前まで。中学生のときには父と母の間に会話はなかったと言います。
「大きなケンカをしている感じはなくて、冷戦状態といった感じでしょうか。私も中学生になって部活とか塾とか、友人と遊ぶことも多くて家にいる時間も限られていたから、私がいないときにケンカをしていたのかもしれないですけど。3人で食事をしている間も両親は必要最低限の会話しかなくて、母親が積極的に私に話しかけて、父親は無言といった状態が多かった気がします」
【父親の不倫で両親が離婚。一度は切れた父娘だったが…。次ページに続きます】