文・写真/仁尾帯刀(海外書き人クラブ/ブラジル在住ライター)

食料品店やオリエンタルな雑貨店で賑わう
リベルダーデ地区のガルボン・ブエノ通り

サンパウロのリベルダーデ地区は、世界有数規模の東洋人街として知られる。ラーメン専門店やおしゃれなカフェの増加など、ますます多様化するオリエンタルな食処に加えて、アニメグッズ、便利雑貨、食料品などの店が、多くのブラジル人を魅了してやまない。日曜日には、東洋市が開かれるリベルダーデ広場とその周辺は、常に人で混み合っている。

そんな陽気な賑やかさとは裏腹に、実はこのリベルダーデ、“いわく付き ”のエリアなのだ。

リベルダーデ広場と写真右側へと下るエストゥダンテス通り

いまは自由の、かつては首くくりの広場

リベルダーデとは、ポルトガル語で自由を意味する。広場はかつて「首くくり広場」という名称だったと知れば、その自由という言葉が含む重さを感じるだろう。18,19世紀、この広場では、逃亡した黒人奴隷や先住民、あるいは犯罪者の公開絞首刑が行われていたのだ。

絞首刑者らの魂の聖十字架教会。
日曜日にはこの前に東洋市が広がるが、
パンデミック中の現在は中止されている。

そんな忌まわしい処刑の歴史を今に伝えるのが、リベルダーデ広場に面して立つ小さなカトリック教会だ。Igreja Santa Cruz das Almas dos Enforcadosというその教会の名称は、日本語に訳せば「絞首刑者らの魂の聖十字架教会」と、処刑の苦しみを生々しく思い起こさせる。

ミサ中の教会。
信者らが集うこの身廊の下にロウソク部屋がある。

教会の身廊の下階には、信者らが祈りとともにロウソクを灯して供えるロウソク部屋がある。ブラジルにはロウソク部屋を伴う教会が各地にあるが、多くはかつてその土地で起こった奇跡にあやかりたい信者のために設けられたものだ。この教会にも絞首刑の際に起きた奇跡の逸話が伝えられている。

ロウソク部屋で祈りを捧げる信者たち。
入り口にはロウソクなどを扱う売店がある。
東洋人街にありながら、
教会内に東洋系の訪問者は少ない。

ビルの谷間の礼拝堂

教会から徒歩2分、東洋系の商店が並ぶ坂道のエストゥダンテス通りを下ると、人気の少ない袋小路の行き止まりに老朽化した小さな礼拝堂が立つ。「苦しむ人達の礼拝堂(Capela dos Aflitos)」という名のその礼拝堂は、今はビルの谷間にあるが、かつてその周囲には、サンパウロ市で最初の公営墓地が広がっていた。つまり、広場で処刑された人々は、私がたどったのと同じ道程を運ばれてその辺りに埋葬されたのだ。

エストゥダンテス通りにある袋小路。
ここにもリベルダーデ地区のシンボルの鈴蘭灯が並ぶ。
袋小路の突き当りにある「苦しむ人達の礼拝堂」。
周囲は1775年から1858年まで公営墓地として使用され、
礼拝堂は1779年に建てられた。

礼拝堂に入ると、左側で祭壇に背を向けて、古い扉に向かって静かに祈る女性の姿があった。扉の板やかんぬきの隙間には、願い事が書かれた数々の手紙が差し込まれている。扉の中央に吊るされたポスターに、シャギーニャスという名とともに描かれた人物こそ、広場に教会が建てられたゆえんなのだ。 

シャギーニャスが処刑前に一晩留置されたと伝わる小部屋の扉。
ポスターのシャギーニャスは褐色の肌で描かれているが、
黒人として認知されている。 

黒人系のフランシスコ・ジョゼ・ダス・シャーガス、通称シャギーニャスは、ブラジルがポルトガル植民地だった19世紀初頭の陸軍下士官だった。当時、ポルトガル兵とブラジル兵とでは待遇差があり、かつブラジル兵への給与支払いは5年間滞っていた。これに業を煮やしたシャギーニャス他6人のブラジル兵は、サントス港でポルトガルの船を襲撃したのだが、あえなく収監され、反逆の首謀者として、シャギーニャスともう一人の兵士には、絞首刑が言い渡された。

 再三の奇跡に「自由を!」

1821年9月20日、刑は執り行われた。
処刑の前夜、シャギーニャスはこの礼拝堂の小部屋に留置された。今でも信者らが絶えず願い事を寄せているのは、かつてシャギーニャスを閉ざした小部屋の扉なのだ。シャギーニャスの絞首刑は、もうひとりの兵士に続いて、首くくり広場で執行された。しかし、首にかけられた縄は不思議にも切れて、シャギーニャスは絶命せずに地面に落下する。処刑で命拾いした者は、刑から解かれるか、減刑されるのが慣わしだった。しかし、シャギーニャスは改めて絞首台で処刑される。それでも再び縄が切れて命拾いすると、処刑を見守る人々からは「リベルダーデ!(自由を!)」とシャギーニャスの救済を求める声が上がったのだそうだ。
この嘆願こそが、後の広場の名称の由来となったと伝えられている。結局、3度目の絞首刑でも絶命しなかったシャギーニャスは、死刑執行人たちによって、撲殺されたのだという。酷い殺され方をしたシャギーニャスを弔う人々によって、広場の片隅には十字架が立てられ、灯るロウソクが次第に寄せられるようになった。現在の「絞首刑者らの魂の聖十字架教会」は、自らの救済を求める人々の思いによって、1887年にその場に建てられたのだった。 

ガルボン・ブエノ通りに立つ鳥居は、
長年、日本人移民の象徴として愛されてきた。

東洋人街で黒人の歴史を残すために

2018年12月、礼拝堂に隣接したビルが建て直しのために打ちこわされると、かつて、確かに墓場だったことを証明するかのように、数々の人骨が発見された。これを機に黒人系アクティビストや郷土史研究家たちは、その土地を、消されつつある黒人の歴史を保存する記念館とすべく、市に土地の収用を訴えた。市はこれを認め、土地の所有権を没収したが、記念館建設の目処は立っていない。サンパウロで、あるいはこのリベルダーデ地区において、東洋系と黒人系の間に、人種が理由の大きないざこざはない。このケースにおいても、平和裏に、古い地層の歴史が認められ、伝えられていくことを期待したい。 
 

「苦しむ人達の礼拝堂」に市によって新たに掲示されたプレート。
そこには「苦しむ人達の墓地:18、19世紀、この場所には、貧民、
奴隷、犯罪者や先住民が埋葬された」と記されている。

文・写真/仁尾帯刀 (ブラジル在住ライター)1998年よりブラジル・サンパウロ市に在住。日本のメディアへの写真提供・執筆を行いながら、ブラジルにて写真作品の発表を行う。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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