2017年は明治の文豪・幸田露伴の生誕150年にあたります。その露伴を曾祖父に、作家・幸田文を祖母に、随筆家・青木玉さんを母に持ち、自身もエッセイストとして活躍する青木奈緒さんの著書『幸田家のことば』(小学館)には、四代にわたって幸田家に伝わる、特別な輝きを持つことばが数多く紹介されています。
今回は同書から、猫にまつわるユーモラスなことばを3つ、ご紹介します。
■1:「猫へい」
今、巷は空前の“猫ブーム”。書店には猫に関する本や雑誌が多数並び、猫が現代人の暮らしになくてはならない存在になっていることを物語っています。
幸田家では、猫好きだった祖母・文さんの代からこれまで15匹ほどが飼われてきたそう。それだけに、『幸田家のことば』にも猫にまつわることばの記憶が複数収められています。
たとえば、文さんが外で見かけた猫を呼ぶときなどに使ったということば、「猫へい」。
「字面からはやや見くだした感があるかもしれないが、祖母にとっては親近感こそあれ、侮蔑するつもりはこれっぽっちもない。ただ、祖母の感覚では、猫にしろ犬にしろ、動物と人の間には序列というか、はっきりした区別がある。」(本書より)
猫を愛玩の対象とみるか、家族と同等な“人生の伴侶”とみるかは、育った時代や個人の価値観によってさまざま。この「猫へい」ということばには、猫に親近感を保ちつつ人間との序列を線引きした文さんの猫とのつき合い方の一端が垣間見えます。
そんな、ちょっとした個人の感覚がにじみ出るのもことばの持つ味であり、魅力です。
■2:「猫根性」
呼んでもすぐに来なかったり、そうかと思えばまとわりついて離れなかったり。猫には、一般に自由気ままで強情な“個”の部分があります。そんな猫らしい気ままさを指すときに文さんが使ったことばが「猫根性(ねこっこんじょう)」。
しかし、文さんは猫たちのそんな性質に手を焼きながらも、どこか認めてもいたといいます。幸田家に今も残る“猫根性への対処法”ともいうべきものには、猫に対するある種の敬意を含んだ姿勢が窺えます。「幸田家のことば」に紹介されているのは、たとえばこんな方法。
庭からトカゲや雀を持ち帰った猫に小言をいう時は、片耳を押さえてもう一方の耳の近くで。「母いわく、猫は耳が大きいから、片方を押さえておかないと、何を言っても右の耳から左の耳へ筒抜けだからだという」(本書より)。猫を寝かしつけたいときは、文さんの父・幸田露伴の戯曲「術競べ」に登場する催眠術の呪文を転用するのだそう。不思議な響きを持つ呪文をゆっくりとした調子で繰り返されたら、猫でなくとも眠ってしまいそうです。
「こうした儀式めいた何かをしようと思うのは、やはり相手が犬ではなく猫だからで、私たちのどこかに猫は人の意志が通じないものという意識があるからではないだろうか」と奈緒さんはいいます(本書より)。
人間の場合もクセのある人ほど「個性的」といわれ、それが人を惹きつけることも多いもの。猫にも「猫根性」を感じるからこそ、どこか憎めない、いとおしい、という感情が生まれるのかもしれません。
■3:「猫ばあさん」
もう一つ、本書に収められた猫にまつわるユーモアあふれることばが「猫ばあさん」。
「猫を相手に暮らす駄菓子屋のばあさんのような人のことを、祖母は半ばふざけて『猫ばあさん』と呼んでいた。自分でも寒い季節に着ぶくれて、膝の上に猫を抱えていたりすれば、『これじゃ、ほんとに猫ばあさんだね』と、自嘲しつつもうれしそうに話していた。」(本書より)
なんと穏やかな幸せの記憶でしょうか。本書には、文さんと歴代の飼い猫たちとのむつまじい様子を綴った“幸田家の猫史”ともいうべき一節もあり、読むほどにほほ笑ましい思いに満たされます。今ではアメリカンショートヘアの“うりこ”が奈緒さんの母・玉さんとともに穏やかな日々を送っているそう。
「幸せなのは、猫か、母か、お互い様か。まあ、いずれは私も猫ばあさんになるのだろうと思いつつ、この様子を眺めている。」(本書より)
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以上、青木奈緒さんの著書『幸田家のことば』から「猫にまつわるユーモラスなことば」を3つピックアップしてご紹介しました。
「ことば」をフックに、何気なく過ごしてしまいがちな日常のひとコマに意識を向けてその瞬間を味わうことができれば、日々の暮らしが今よりもう少し豊かなものになるのではないでしょうか。
【参考図書】
『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』
(青木奈緒・著、本体1,500円+税、小学館)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388502
文/酒寄美智子