「私はずっと子どもじゃなかった」

帰省しても母親とは弟を挟んでしか会話がなかった。それでも、3人分用意された食事を見て、嬉しいと感じていた。しかし、そんな母親に対する期待が完全になくなる出来事があったという。

「私はずっと同じアパートで暮らしていて、賃貸は自動更新だったため、最初に母親が連帯保証人になってくれたままでした。でも、28歳のときに引っ越しをすることになり、引っ越し先が昔ながらの大家さんがいる古いアパートだったため、保証会社ではなく連帯保証人が必要でした。私はそれをまた母親に頼みに実家に行ったんです。そのときに、『なんで? 嫌よ』と拒否されました。そのときに、この人の中で私はもう子どもじゃないんだって思いました。もしかしたら、一度も子どもだと思われていなかったのかもしれません。この出来事によって、母親に対する期待は完全になくなりました」

連帯保証人になってくれたのは、弟だった。

「弟は、母親から保証人を拒否されている私を目の前で見て、自分がなると名乗り出てくれました。今まで弟とは定期的に連絡を取り合ってはいたものの深い話なんて一切していなかったので、弟の行動にはびっくりしました。

弟はそのまま距離がある感じがしばらく続いたのですが、その保証人を拒否されたことで母親への執着がなくなっていき、弟だけが母親から可愛がられていたという嫉妬も少しずつ薄れていきました。弟とは、私の結婚などのイベントもきっかけとなり、距離を縮めることができました」

弟は当時から今もずっと独身で、母親との2人暮らしを続けている。弟は智さんに向かって「母親の面倒は僕が見るから」と言った。

「『僕はお姉ちゃんよりも親に自由にさせてもらった。その分、僕が母親の面倒を見るから、お姉ちゃんは何も気にせず自由になってほしい』と言ってくれたんです。弟は小さい頃から何も変わらず、私のことを思ってくれていたのかもしれないと気づきました。母親に見捨てられたら天涯孤独になると怯えていた私には、弟がずっといてくれていたんです」

母親は現在70代になり、5年ほど前に大きな病気を患ったことで仕事を引退し、現在も治療中とのこと。智さんは夫とともに実家から1時間ほどの距離の場所で暮らし、定期的に母親の様子を見に行っているという。しかし、それは母親のためではなく、弟のため。求めるのではなく、自らの意思で与えることが、親子関係の生きづらさを解消できる術なのかもしれない。

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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