妊活をスタートさせようとしていた矢先、がんが見つかる
母親を亡くしてからさらに口少なくなった父親とその面倒を一身に背負う兄には結婚の報告のみで済ませ、姉はウエディングフォトの撮影の場の立ち合いだけ行ってもらった。夫側も両親と折り合いが悪く、家族になったという実感はあまりなかった。
「鹿児島から父と兄を呼ぶのも、私たちから出向くのも気が引けてしまって。入籍することになったと兄にだけ電話で伝えました。お父さんにもよろしくと。
新居は構えずそのまま私の家に夫が移り住んで、写真を撮ったのみだったので結婚の実感はあまりありませんでした。だからかな、もっと実感したくて早く子どもが欲しかったんです」
入籍したのはお互いが23歳のとき。すぐに子どもが欲しかった知子さんとは裏腹に、夫はまだ2人でいたいと意見が割れてしまう。結局、子どもを作ろうとなったのはそこから5年後のこと。その矢先に胸にあったしこりが悪性だとわかる。
「ずっとしこりはあったんです。でも、良性だと言われていて、年に1度の検査を受けて異常がなかったまま3年ほど過ぎていました。医師からそう言われていたから特に気にもしていなくて。でも、ある日シャワーを浴びているときに胸を見たら、左右非対称だったんです。片方の胸が歪んでいました。
そこから再度検査をして、悪性だということがわかりすぐに手術することに。その1か月前ほどに夫婦で話し合って、妊活していくと決めたばかりでした」
幸いにも転移はなく、抗がん剤もなし。しかしそこから5年間の投薬治療がスタートした。妊娠がその期間望めなくなることに対して、医師から説明はほとんどなかったという。
「男性医師だったんですけど『薬を飲んでもらう』と言われただけでした。最初に1か月分だけもらったのでそれを飲みきったら終わりだと認識してしまったんです。ガンについての知識なんて当時はまったくなかったし、そのときは抗がん剤をしなくていいという安心感でいっぱいでした。
医師から本当に軽く『妊娠する予定ある?』と聞かれたときも、この投薬と放射線治療の1か月間だと思って『ありません』と答えてしまって。まさか5年も続くなんて……」
妊娠がしばらくできないことを夫に伝えたとき言われた「仕方ない」。ここから夫婦は離婚へ進んでいく。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。