昔の父親に瓜二つな自分。どこまでも母親に勝てない父親の存在
離れて暮らしたい=離婚とは考えていなかった宏之さんは別居を提案。別居期間中に宏之さんは一人で暮らすのではなく、実家に戻ります。しかし、これがいけなかったと当時を振り返ります。
「私は安易にすぐ戻れるだろうと、わざわざ家を新しく借りる必要はないと思ってしたことなんですが、嫁からしたら嫌だったんでしょう。母親は一応迎え入れてくれましたが、当時まで実家にいた妹は嫁と仲が良くて、最悪だとよく言われていました。それが妹の言葉なのか、嫁の言葉なのかは怖くて聞けませんでしたが(苦笑)。
結局、別居期間は1年弱で話し合いにより離婚となりました。嫁からは『一緒に暮らさないほうが、すべてがスムーズになる』と一緒に暮らすことを全否定されましたね。親権の話になった時、子供たちは当然のように母親と一緒に生活することになっていました」
親権について争うことはしなかったとのこと。それはなぜかと聞くと……。
「元嫁は手に職を持っていたし、自宅は相手のご両親の持ち家ということもあって、争ったところで勝算がまったくないですよね。それに、両親が離婚した時の自分を振り返ると、必要なのは父親よりも母親だということもわかっていましたから。まぁそれでもお父さんと一緒にいたいと子供たちが言ってくれたら全力で頑張ったんでしょうが、そんな言葉もなかったので」
離婚から3年、現在は2週間に1度のペースで会い、大型連休の時には泊りでの旅行も認められているそう。しかし、下の子は母親に会いたいと夜中にぐずることもあるそうで、「母親という存在はなんであんなに強いのか不思議でしょうがないです。私の両親は共働きだったから、ずっと付きっきりだったわけでないのに。刷り込まれているようなものなんですかね。今子供たちに気を遣っている自分の姿が昔の父親と瓜二つなんですよね……。今なら父親と尽きることなく会話を楽しめそうです」と苦笑いを浮かべていました。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。