病院から連絡が来て、3日後に父親は亡くなった
母親の葬儀から1年ほど前まで父親との交流は一切なし。連絡があったのは父親からではなく病院からでした。
「父親は実家の階段から落ちてしまい、頭を強打して病院に運ばれたと連絡がありました。仕方なく手続きのために父の入院する病院まで行ったのですが、コロナ禍での緊急事態宣言中ということもあり、意識がない状態の父親を集中治療室の外から少し眺めるだけ。病室にいる父親を見ても私には何の感情も芽生えませんでした。
病院は家に来ていたヘルパーさんから私の連絡先を知ったそうで、母親から情報を得ていたのかなって、そんなところを気にしていました。家族の縁はこんなところで完全に切ることができないんだなって思ったほどです」
愛知県に帰省したことで久しぶりに実家に足を踏み入れたものの、懐かしさと一緒に息苦しさを覚えたとのこと。
「都内から愛知まで行ったのでついでに実家に寄ったんです。すぐに帰るのも……と思って。家はヘルパーさんのおかげなのかきれいにされていました。母が入院したときも実家には寄っていなかったので本当に15年ぶりぐらいでしたね。そこで感じたのは懐かしさよりも思い出したくない過去でした。なんか息苦しくなった気もして、実家に泊まることなく、結局その足で戻りました。なんかソワソワしてしまって……」
それから3日後に父親はそのまま意識が戻ることなく亡くなってしまいます。最初はせいせいしていたそうですが、今になって別の感情が芽生えてきて戸惑っていると言います。
「打ったのが頭だったので、そのまま一度も目覚めることなく……。その後は葬儀や実家にあるものの処分、実家の処分などでバタバタでした。すべてが完了したときには最低な言い方かもしれませんが、翼が生えたように体が軽くなったんです。もう何も気にしなくていいんだって、完全に自由なんだって。
それなのに、今さら子どもの頃を思い出すようになってしまっています。いい思い出なんてちっともないはずなのに、そういえばお金で苦労したことは一度もなかったなとか、決して手をあげることはなかったなどが、美化されて蘇ってくるような感じです。なぜいまさら父のことを考えなくてはいけないのか。これも一種の後悔なんでしょうか」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。