やりたいことを認めてくれた父親と、夫を立て続けた母親
兄は成績優秀、美輝さんは中の上くらいで勉強嫌い。兄が有名大学に進学する中、美輝さんは5教科よりも副教科に興味があり、高校卒業後は芸術系の大学に進みたいと思うようになります。
「兄と比べられることはなかったけど、劣等感は少しありましたよ。両親ともそこそこ賢い学校を出ていたので私だけなぜとは思っていました。でも、兄を追い越そうとは思わなかったし、嫌いな勉強を大学に入ってまで続ける気もありませんでした。高校は普通科だったけど2年から必修以外の教科を自分たちで選択できるようになっていて、私は副教科ばかりを選んでいました。そんな中で友人が芸術大学を目指して絵の教室に通い始めたんです。私も友人の話を聞くうちに感化されていき、同じく芸大を目指すために絵の教室に通わせてもらいました」
しかし、関西にある希望芸大受験は失敗。浪人すること、または働くことのどちらも選べずに専門学校への進学を選びます。
「受験は全滅で、親には浪人してもいいと言われたんですが、1年間もそのことだけを勉強する意欲がなかったんですよ。翌年には受からないといけないというプレッシャーも嫌でした。でも、今から就職先を探すのも難しいので専門学校を選びました。母親はそんな選び方に納得いかなかったようでしたが、家族会議で話し合う中で父親が許可してくれたんです。家で発言権が一番あるのは母親だったんですが、そんな母親も意見が対立する時は父親を立てて、2人が言い合いになることは一度もなかったんですよ。私はその時には専門学校に行けて良かったという思いしかなかったんですが、結婚してわかったのは父親を立て続けた母親の偉大さでしたね」
何をしても中途半端な自分が嫌になったことも……。そんな裏には色んなことを体験させてくれた両親がいた。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。