地名が語る戦の惨状

A:ところで、姉川の戦いの激戦ぶりは、VFX(ヴィジュアルエフェクツ)などの技術の進歩を確実に実感できる仕上がりになっていたと思います。兵士らが姉川の流れの中で死に絶えていく場面も胸打たれました。
I:今も現地では、血原、血川などの地名が残っていますしね。戦いの後に、姉川は真っ赤に染まったのではないでしょうか。そう思うと、ほんとうに壮絶な戦だったんでしょうね。
A:姉川の戦いは、「金ケ崎の退き口」を織田信長VS 朝倉・浅井陣営の第1ラウンドだとすれば、戦いの第2ラウンドになります。前週第14回で、信長が金ケ崎から京都に戻り、将軍足利義昭の御所に帰参の報告に行った場面がありました。その際、義昭は浅井長政と朝倉義景に御内書を書いていました。その日付が「四月卅日(4月30日)」。『信長公記』によれば、信長はいったん5月19日に京都を出発し、21日に岐阜に帰ります。
I:京都から岐阜に戻る途中で、杉谷善住坊に鉄炮で撃たれているのですよね。
A:はい。さらに『信長公記』によると、6月4日には六角承禎が野洲川(滋賀県野洲市)で柴田勝家、佐久間信盛軍と交戦しています。浅井長政は苅安城や長比城(たけくらべじょう)を築きますが、織田軍はすぐさま両城を調略してしまいます。近江と美濃の国境(くにざかい)で緊迫の攻防が繰り広げられていたのです。
藤堂高虎の登場
I:藤堂高虎が登場しました。浅井家家臣というクレジットがわざわざ挿入されました。演じているのは、『鎌倉殿の13人』(2022年)で武蔵坊弁慶を演じていた佳久創さんです。
A:藤堂高虎といえば、後に小一郎の家臣として頭角を現し、最終的に子孫は津藩32万石の大名として明治維新を迎えるわけです。この藤堂高虎が、後に秀吉子飼いの家臣として登場してくるであろう加藤清正や福島正則らより早い回で登場してきました。浅井家仕官時代の藤堂高虎が大河ドラマに登場してくるとは、感慨深いです。
I:姉川の戦いの頃は清正や正則はまだ子どもなのですが、これからどんどん若い人々が登場してきます。時代の空気が変化する時、若者たちが躍動し、新たな歴史が紡がれます。現代の私たちの社会が、若い人たちが「躍動できる雰囲気」を作り出すことができているのか――。自問自答しながら、『豊臣兄弟!』の行く末を楽しみたいと思います。

※宮崎あおいの「崎」は正しくは「たつさき」。
●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











