文/浅見祥子

出演/ケイトリン・ファン、ウィル・オー、9m88、ツェン・ジンホア、
リウ・グァンティン、ビビアン・ソン
5/8~シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町、Strangerほか
全国順次公開
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1950年代、「白色テロ」と呼ばれる政治弾圧が続く、戒厳令下の台湾。両親を亡くし、叔父夫婦と貧しい暮らしをするおかっぱ少女の阿月(アグエー)。ある日、大好きだった兄が反政府分子として台北で処刑されたという知らせが。阿月は兄の形見の腕時計と少しのお金を持ち、遺体を引き取るために家を出る。農村から大都市の台北へ、たったひとりの大冒険。けれど遺体の引き取りには高額な手数料が必要で、お金を工面しようとした阿月は危うく遊郭へ売り飛ばされそうに。車夫の趙公道(ザオ・ゴンダオ)に助けられるが――。
映画は、阿月の身の丈がすっぽり隠れるほどのさとうきび畑に始まる。そこにはインテリで家族思いの優しい兄が身を隠している。捕まれば命はないだろう。ギリギリの逃亡生活のなか、「辛くて耐えられないときは針を速めてごらん。5年後10年後を思い描けば、こんなのなんてことないだろ」と妹に腕時計を託す。「10年後は結婚してるかも?」「そんなに早く結婚しないよ! 大学に行くの」なんて笑いながら未来を語り合う二人。「(数十年後には)世界から戦争が消え、人々は自由で平等で、迫害も弾圧もなくなってるよ」、兄は妹に、希望という夢を抱かせる…。あのお兄ちゃんが、死んでしまった? しかも見るからに田舎者の少女がひとりで都会に出てそんな、大丈夫なの!? 観客は親戚のおばちゃんみたいな気持ちになり、阿月の行く末を案じることに。

それは確かに、残酷で無常な時代。戦後のドタバタ期でほぼ例外なく誰もが貧しく、生きることに必死で余裕がない。阿月が都会で出会うのはそんな人びと。「兄の遺体を連れて帰る? 引き取り代はあるのか? 役人に顔がきくおじさんを紹介するよ」とか言って近づいてきた男がまずそう。大通りを渡るときはさりげなく身を守ってくれるし、車夫への支払いも(小銭だけど!)自らささっと済ませてくれる。悪い人じゃなさそう…? とか思っていると、ところがどっこいで。車夫の公道も阿月の忘れものを届けてくれたりしていい人そうだけど、隙あらば金をまきあげたい! と思っているのも確か。白か、黒か? 登場するキャラクターは簡単に色分け出来ない。
戦争の傷跡もまだ生々しい。暗い時代の気配が漂い、身内を亡くしていたり、なかったことに出来ない傷を負っていたり。誰もが痛みを抱え、心が闇落ちした人間もいる。いつでもノー天気でやたらと声のデカい公道もそう。広東出身の元軍人で、仲間を喪った傷を抱えている。
だからといって世界は真っ暗、というわけではない。ほんのちょっとの優しさや親切を寄せてくれる人が予想外のタイミングで現れたり、世間的にはどう考えても悪者に分類される人間が、見ず知らずの阿月に運をもたらしたりする。例えば道を尋ねた屋台のおばちゃん→おばちゃんとの話を聞いて声をかけてきた怪しい男→その男がたまたま捕まえた車夫。え、この人は良い人? 悪い人? それでおかっぱ少女は、お兄ちゃんを連れ帰れるの!? そんな風に物語は、コロコロころころ転がっていく。隅々のキャラクターに至るまで豊かな物語性がみっちり宿っていて、2時間を超える長尺にも飽きるということがない。

台湾の白色テロの時代のことをよく知らないと、なんか辛そうな映画? と思うかもしれない。でもあまりにコロコロと展開する物語がおかしくて笑ってしまったり、暗い時代を明るく照らす劇団の華やかなステージが映し出されたり、見ず知らずの人がくれるほんの少しの優しさに触れたり。そこには確かに、生きることの輝きがある。時代の暗さが世界を覆うからこその、まぶしいほどの輝きが。脚本は、とにかく練り込まれている。あの時代はなんだったのか? 正面きって向き合いながら、人間は信じられないくらいに残酷で、生きることはこれほどまでに厳しいことを描いていく。けれど、どんなときにも希望はあると教える。誰の心にもあるはずの、愛と呼ばれるような温かい気持ちが、絶望の淵からなんとか歩き出そうとする誰かの背中をそっと押す瞬間を見ることができる。
「将来、何が起きても勇敢であれ。俺たちにあるのは勇気だけだ」と教えたお兄ちゃんの言葉が心に残る。見終えたあと、自分の目に映る景色が、少しだけ変わっていることに気づくかもしれない。って、人によるかもだが。

【映画深堀りネタ帳】
サブスク時代、『霧のごとく』をより深く味わうための映画ネタを紹介。
『1秒先の彼女』(2020年)
いつもワンテンポ速い女の子と、あだ名は‟カメ”で何かと遅れがちな男子による、失くした一日を巡る物語。入口と出口がまったく異なる映画のよう。登場人物それぞれの抱える物語の豊かさ、その化学反応はマジカルの域で、監督&脚本を手掛けたチェン・ユーシュンがこのあとに『霧のごとく』を撮ったことが感慨深い。2023年には、山下敦弘監督&宮藤官九郎脚本で主人公の男女の役割を逆転、京都を舞台に『1秒先の彼』としてリメイク。
文/浅見祥子(映画ライター)
雑誌「BE-PAL」(小学館)、「田舎暮らしの本」(宝島社)、web「大人のおしゃれ手帖」(宝島社)、「シネマトゥデイ」などで映画レビュー、俳優&監督インタビューを執筆。また「芸能マネージャーが自分の半生をつぶやいてみたら」などの書籍ほか、赤楚衛二「A」、菅田将暉「着服史」、小関裕太「Y」、藤原大祐「FeaT.」、菅井友香「たびすがい」(すべてワニブックス)などでインタビューを担当。











