「18歳で選んだ女優人生、細く長く演じたい」
将来は芝居をする人になりたいという夢が叶った20代。以来、順風満帆に見える女優人生にも山あり谷あり。50代の今、舞台『朗読座』に力を注ぐ。
こんの・みさこ 昭和35年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部在学中に映画デビュー。代表作にテレビドラマ『武田信玄』『誘惑』、映画『未完の対局』、舞台『細雪』など。女優として活躍する一方、国連開発計画親善大使も務める。著書に『ラララ親善大使』など。
女優人生35年。それは1枚の写真から幕が上がった。写真が趣味の叔父がカメラ雑誌に紺野さんのポートレートを投稿したのを機に、ユニチカのマスコット・ガールに決まったのだ。
昭和54年には、その企業カレンダーが西村潔監督の目にとまり、『黄金のパートナー』で映画デビュー。18歳だった。翌年、映画がきっかけでNHKの連続テレビ小説『虹を織る』の主役に選ばれる。
子供の頃から芝居は好きだった。将来は演じる人になりたいと、児童劇団に所属したこともある。その夢が叶った20代。仕事は多忙を極めたが、“迷える20代”でもあった。運に恵まれただけで、演技の基礎はない。真価が問われる30代まで続けられるのだろうか──。
逡巡の日々を送っていたある日、出版社からエッセイ集執筆の依頼が来る。書くということは、自分を見つめ直すことでもある。
「自分自身と真正面から向き合い、対話を重ねながら書くという作業は、自分探しでもありました」
こうして結実したのが、30歳という節目に出版された『M:Misoji(三十歳)のひとりごと』。女優という仕事を続けようと決意する。
今はテレビや映画より、舞台に興味がある。転機となったのは、木下順二原作の『オットーと呼ばれる日本人』(平成20年)だ。
「初めて新劇の人たちとご一緒して、発声ひとつとっても力不足を痛感しました。“細く長く”でいい。還暦を迎える頃に、一人前の舞台人に育っていれば嬉しい」
50歳を機に、『朗読座』も旗揚げした。日本語の美しさ、言葉の持つ力を伝えたいとの思いからだ。
「朗読に限らず演劇でもいい。私のほうから地方に出かけ、日々の仕事に精を出している人たちと、ささやかな喜びや感動を共有できたら幸せです」
声高に主張することはないが、上質な大衆性を追求する地方公演行脚がライフワークである。
『朗読座』は紺野さんの朗読と音楽や映像などを組み合わせた新しい舞台芸術。次回公演は11月3日、仙台の東北大学で。
国連開発計画(UNDP)の親善大使になって16年。開発途上国に関心を持ってもらうのが、主な仕事。アフリカ大陸のガーナではエイズ孤児の問題が深刻だが、子供たちは屈託ない。
50歳を機に新たな挑戦を始めた紺野美沙子さん。『朗読座』への思いや近々の舞台情報など、興味深い話は「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。
ワタシの、センタク。
http://towa-sentaku.jp
提供/東和薬品