ジャパニーズウイスキーが新たな隆盛の時を迎えている。蒸留所は全国に115を数え、さらに増える予測だが、その多くはウイスキー造りに情熱を抱く小規模な生産者たちだ。クラフトマンシップと風土と時間が融合して生まれる、この魅力的な酒の最前線を追った。

右から、「シングルモルト デッサンシリーズ」より「フローラ2024」700ml(以下同)53%、1万6500円。「ファウナ2025」53%、1万9800円。「フローラ2025」55%、1万6500円。
標高1200m。秘境に湧き出る軟水と冷涼な山の空気の中で、長期熟成を目指す

静岡駅から車でおよそ4時間。南アルプスの奥深く、一般車両の通行が規制された険しい林道の先に井川蒸溜所はある。標高1200m、大井川最源流の渓谷沿い。人の生活圏から完全に切り離された、秘境というにふさわしい場所だ。
「アクセスの悪さでいえば国内で1、2位を争える蒸留所でしょう」
迎えてくれた社長の鈴木康平さんはそういって屈託なく笑った。
井川蒸溜所は、母体である製紙会社・特種東海製紙が所有する山林を活用するために立ち上げられた。明治期に購入した2万4430ヘクタールという広大な山林は、林業の衰退とともにその活用法を模索し続けてきた土地でもあったという(※現在、この山林は特種東海製紙のグループ会社「十山」の社有林)。そこで目を向けたのが、はるか昔から名水として知られる木賊湧水(とくさゆうすい)だ。
「水を起点に考えたとき、ウイスキーの可能性が見えました。冷涼で霧が立ちやすく、湿潤な環境は原酒の熟成に向くだろう。樽材となる木材資源も豊富。ものをつくる場所としては非常に不便ですが、ここでしかできない酒があるはずだと。南アルプスの幸を反映したウイスキーを造ろうと奮起したんです」と鈴木さんは振り返る。

天然の湧き水で仕込む
水源地は蒸留所の建物から200mほど離れた山の急斜面にあった。大木の根元からとうとうと溢れ出す水をホースで蒸留所まで引き、仕込み水に使う。文字通り、天然の湧き水。口当たりが柔らかで甘みのある軟水だ。


蒸留を指揮する所長の瀬戸泰栄さんは、製紙会社の化学分析チーム出身。長野のマルス駒ヶ岳蒸溜所でウイスキー造りのいろはを学んだ瀬戸さんが選んだのは、ベーシックな製法だった。
「本場スコットランドの製法をリスペクトしています。それに、シンプルな仕込みのほうが南アルプスの環境の個性を表現しやすいはずです」と瀬戸さんは言う。
小規模ながらもさまざまな機器を揃えたラボを設け、日々、もろみの溶存酸素や酵母の生菌率などを分析。数値で状態を把握することで再現性の高い味づくりの知見を積み重ねている。科学的なアプローチをした上で、南アルプスの個性を表す挑戦を続けているのだ。


ひんやりとした貯蔵庫に並ぶのはバーボン樽にシェリー樽だが、将来的には自社林のミズナラでの熟成も見据えている。
目指すのは12年もの。唯一無二の、美しいウイスキー

所有林のミズナラは曲がりくねった樹が多く、樽の側板(がわいた)となるまっすぐな木材を取るのは難しいという問題を抱えるなかでも、中古樽の鏡板(かがみいた)を森から切り出した木材にはめ替えるところから始めた。
山のエッセンスを詰め込む

さらに、南アルプスで育った植物由来の野生酵母にも挑戦。
「蒸留所周辺のさまざまな植物を採取し、静岡大学と共同で実験を重ねているところです。一昨年は、ハクモクレンの花から野生酵母を抽出して仕込みました。今はミズナラの落ち葉から酵母を選抜中です」と瀬戸さんは声を弾ませる。
冷涼な気候ゆえ、熟成には時間がかかる。目指すのは12年もの。その長い道のりの途上を味わってもらおうと生まれたのが、「デッサンシリーズ」だという。ラベルに描かれたのは南アルプスに生息する動植物。絶滅危惧種であるタカネマンテマという花を描いた初リリースの「フローラ2024」は、華やかで透明感があり、山を思わせる味わいに胸が高鳴った。
最後に瀬戸さんは「唯一無二の、美しいウイスキーを造りたい」と胸の内を語った。期待は高まるばかりだ。
井川蒸溜所

静岡市葵区田代字大春木1299-1
電話:0547・36・5160(島田駐在所)
見学可。年に数回、旅行会社が主催する有料見学ツアーなどに参加する。
https://juzan.co.jp/contents/ikawadistillery
取材・文/安井洋子 撮影/森本真哉












