2020年は、大きく世の中が変わった時代といえます。3月半ば頃から、新型コロナウイルス感染の恐怖が全世界を覆い、緊張感が張り詰める生活を余儀なくされました。賑わいや文化を生んでいた、飲食店、百貨店、劇場、映画館が次々と閉鎖していきました。5月25日で、緊急事態宣言が全面解除されると、緩やかな自粛解除が進み、「ウイルスと共存する」というフェーズに入ったと考えられます。サライ世代の人々が、人生100年時代を健康に楽しく生きるためには、どうすればいいか……多くの著書で、人の脳と意識や五感で感じることの大切さを説き続ける、解剖学者の養老孟司さんに、お話を伺いました。

人間の思い通りにいかない「自然」を知る

新型コロナウイルス感染症について、連日報道がなされ、多くの人が「コロナが怖い」と言っていました。なぜ怖いのか、それは「先が見えない」からです。

私は昔から、「先が見えないことは、やってみないとわからない」と指摘しています。いつのころから、学生に「やってみなさい」と言うと、「責任を取ってくれますか?」と言われることが増えました。

先が見えないことをやらないというのは、近代日本の富国強兵時代から始まっています。軍隊、政治、経済……いずれも「ああすれば、こうなるという」セオリーがないと成り立たないのです。

結果が見えることしかしない、という訓練をされているうちに、知っていること、教えてもらった事しかやらなくなってしまった。

新型コロナウイルスは、未知のウイルスであり、誰もが対策を知りません。今までの考え方が通用しない時代になりました。そもそも自然は人間の思い通りにいきません。そのことを知った方がいいですよ。

「対人の世界」「対物の世界」と分けて考える

これからどのように生きていくか、それは、「対人の世界」と「対物の世界で」で分けて考えることです。

人と会えないと仕事にならない、寂しいなどは「対人の世界」です。余談ですが、「将来の夢はユーチューバー」という子供が増えていると聞きます。これは、子供たちが「対人の世界」に行き、人を相手にしすぎることの表れです。人からどう見られるか、人からどうすれば気に入られるかということばかり考えていると、自家中毒を起こして苦しくなると思うのです。

では「対物の世界」はどうでしょうか。これは、自然や物を相手にすることです。これは思い通りに行かないことが多い世界です。

日本は戦後、予測不可能なことを避ける傾向が強くなりました。その結果、農業、林業、水産業など、自然から直接資源を採取する第一次産業に従事する人が激減し続けています。このことを考えなくてはならない時期だと私は考えます。

ポストコロナ時代は「対物の世界」を生きよう

さて、読者の皆さんは、これまで社会人として生きてきましたから、人を相手にする「対人」の訓練があらかじめできているでしょう。ですから、これからは「対物の世界」に行くことを提案します。

対象はどのように選べばいいかと質問されることが多いのですが、私は心惹かれるものに集中すればいいと思っています。

私の場合、それは虫取り(昆虫採取)ですが、植物を育てること、釣りなどなんでもいいのです。それに集中するとよいと思います。

「対物の世界」で、人は、自然を相手にしながら、自らの能力を磨いていきます。これらは、時間さえかければ上手になるもので、これを「習熟」と言います。

ある程度やってみると「カン」が働くようになります。それでも中には下手な人というのがいます。私の虫取りの世界においても、一緒にやっている人に、知識があり、経験を重ねていても、下手な人というのがいます。でもそれはしょうがないことなのです。

自然を相手にしていると「まだこんな世界があったのか」「こんなものがいたのか」と毎日、毎回、新たな発見をします。自然は刻々と変わっています。奥が深くきりがない。だから面白く、考える力が磨かれていきます。

私たちの体は「自動的に」動いている

自然を相手にしていると、身体は意識的ではなく、自動的に動いていることもわかってきます。

私たちは「意識」を信用しすぎており、意識ですべてができると思っていますが、そうではありません。例えば、眠ること。意識して眠ることはできませんよね。起きることにしても、自分の意識が目覚めさせてくれるわけではありません。つまり、体任せにできているのです。人間は何事も意識優先で考えていますが、体は自動的に動いている。体という自然に任せて生きているのです。

ですから、意識で先を読み、考えているだけではだめなのです。自然を相手にしていると、自分自身が変わっていくことも、同時にわかってきます。

「変わる」というのは、とてもいいことなのです。しかし、「対人の世界」においてのルールは「人は変わってはいけない」です。考え方や意見を固定化し、人を「情報化」することが求められます。対人において、変化は困ることなのです。

しかし、自分を固定化したらつまらないですし、そもそも、自然の一部である人は日々変わるものなのです。人が変わったそばから、世界が変わっていくのです。

ペスト』が100万部突破したことは健全

さて、コロナ禍中を振り返ると、人は「神様の目線」で物事を見ていたのではないかと思われます。

例えば、「本日の死亡者は何人で、何パーセントの罹患率で……」という上から目線の情報で考えてしまうことです。人はこの目線で生きてはダメなのです。

では、「人の目線」は何なのかというと、「文学の目線」です。このコロナ禍で、カミュの小説『ペスト』(新潮文庫)が100万部を突破したことがニュースになりました。その知らせを聞いて、私はとても健全さを感じたのです。なぜなら、あの小説は「自分のこととして感染症を描いている」からです。

この「我が事として考える」というのが「人の目線」すなわち、「文学の目線」です。

例えば、交番や警察署の前に「本日の死亡者数●人」と交通事故者数が表示されてあります。あれは「神様の目線」です。

「文学の目線」は「連れ合いや子供が交通事故になったら……」と考えることです。そうすると、道を歩くときや、乗り物を運転するときの意識が変わります。

コロナ禍において、この「目線」が、皆バラバラでした。疫学者、医師、政治家がコロナ対策で喧々諤々としていますが、みんな目線がずれています。

旧約聖書の『創世記』にバベルの塔の話があります。人類を進歩させようとして塔を建設していたら、作っている人の言葉がわからなくなって、塔が崩れていくという話です。バベルの塔における「言葉」が、コロナ対策における「目線」です。違う目線だから、混迷していくのです。ですから、共通の目線を持たねばならないと私は考えています。

この後、間違いなく、不景気が来るでしょう。人が以前のまま、意識でコントロールできるとし、「対人の世界」と「神様の目線」のまま生きてしまい、ナショナリズムが台頭し、不景気の解決策が戦争になってしまうことを、私は危惧しています。

生き方は自分で決めよう

これからの時代を生きるために必要なこととしては、やはり、生き方を自分で決めることに尽きると考えています。

それまで、「対人の世界」の中、「神様の目線」で意識を優先して生きてきた人には、難しいとは思いますが、まずは心惹かれることをやってみるとよいと思います。最初は上手くいかないかもしれませんが、やっていくうちにわかってきます。

私は猫にまつわるエッセイも書いていますが、行き詰まったと感じるなら、猫を見るとよいですよ。猫は哺乳類として完成されています。寝て、起きて、自然に任せて生きています。

人間も自然に任せ、自然の中で生きるとよいでしょう。いつも新しい発見がありますが、思い通りに行かないことも多い。悔しい思いをしたなら次につなげ、自分を変えて学んでいく。これは人生100年時代を楽しく生きるために、大切なことです。

養老孟司 解剖学者。1937年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学部名誉教授。社会現象や人間の心理や行動を、解剖学や脳科学の知見から解説する。1989年『からだの見方』(ちくま文庫)で、サントリー学芸賞を受賞。2003年『バカの壁』(新潮新書)が419万部のベストセラーに。近著に『がんから始まる生き方』(NHK出版新書・共著)などがある。趣味は昆虫採集。

取材・文/前川亜紀 撮影/矢口和也

 

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