企業経営のトップである社長にとって、戦国時代の武将は一国一城の主として参考にしたいものであろう。特に織田信長はその強烈なカリスマ性で人気も高いと思われる。だが、織田信長は社長にとって憧れる存在としてはならない、という。
マネジメント課題解決のためのメディアプラットホーム「識学総研」より、その理由を考えてみよう。
* * *
織田信長を凄いと思う経営者は一流になれない
やや刺激的なタイトルにさせて頂いたが、織田信長を凄いと思う経営者はなぜ一流になれないのか。
正確には、織田信長が世に出るきっかけになった桶狭間の戦いを凄いと思い、そこに信長の価値を見出す経営者は決して一流にはなれない、という意味でこのようなタイトルにさせて頂いている。
ご容赦願いたい。
桶狭間の戦いについては、詳細にご説明する必要はないだろう。
諸説あるものの、現在通説としてよく知られている内容は、25000とも30000ともされる今川義元の大軍を、わずか2500の手勢を率いた信長が荒天の虚を突き、奇襲攻撃で破ったとされるものだ。
これにより、今川義元は戦乱の中で討ち死に。東海地方で最大勢力を誇っていた今川家は没落し、織田家がその勢力に取って代わるという、戦国史上もっとも歴史を変える出来事のひとつになった。
ではなぜ、そんな討ち死に必至の戦で大逆転を果たし、天下人への階段を駆け上がるきっかけとなった信長の戦いを評価してはいけないのか。
順を追ってご説明していきたい。
日本人が大好きな戦いの非常識
ところで日本人は昔からこのような、弱者が奇跡的に強者を破るという話が大好きだ。
古くは源平合戦の時代にまで遡り、源義経が僅か70騎の手勢で急峻な崖を駆け下り、平氏の大軍を潰走させたとされる「鵯越の逆落とし」などは、その典型だろう。
また鎌倉時代末期、楠木正成がわずか1000騎の手勢で、鎌倉幕府軍100万を破ったとされる千早城の戦いの武勇なども、幾度となく日本人の心を熱くさせてきた。
現代を生きる私たちも、やはり強者が順当に勝つよりも弱者を応援したくなるマインドをどこかに持ち合わせている。
大相撲で舞の海が曙をひっくり返した時には日本中が熱狂し、2018年夏の甲子園では多くの国民が、大阪桐蔭ではなく秋田の金足農業の優勝を願った。
一方で大事なことは、このような物語から何を教訓にするのか、ということだ。
「鵯越の逆落とし」は鎌倉時代、源氏の天下の世に著された「平家物語」に見られる一節だが、現在では地理的な矛盾もあることから、「逆落とし」は正史とは認められない扱いになっている。勝者の世で描かれた創作という側面が否定できない。
同様に楠木正成の戦いも、1000騎で100万の軍勢を打ち破ったという描写は余りにも荒唐無稽であり、その描写が見られる「太平記」を、素直に受け取ることは理知的とは言えない。
圧倒的な劣勢の中、後醍醐天皇に最後まで忠節を尽くした楠木正成の生き方が、江戸時代や明治時代の為政者にとって、都合の良い価値観であったということだろう。
そして、日本人好みの「プロジェクトX」となり、多くの人の心を熱くして、まるで正史であるかのように話が確立したと考えるほうが合理的だ。
なお余談だが、戦国時代の武将たちは絶対に主君を裏切らず、最後まで主家のために忠節を誓い潔く死んだ、という理想像も、江戸時代以降に作られた創作だ。
冷静に考えればわかることだが、武家にとってはお家の断絶こそが絶対に避けるべきことであり、家を護ることが当主にとっての最大の仕事であった。
であれば、主君に殉じて一族全員が死に絶える道を喜んで選ぶはずがないのだが、なぜか今を生きる私たちは、
「武士は絶対に主君を裏切らない」
「武士にとっては、お家の存続こそがもっとも重要な価値観とされた」
という相矛盾する定説の両方を、無抵抗に受け入れている。
実際に戦国の世では、将棋の駒がそうであるように、敵方に討ち取られた(取り込まれた)「駒」は、そのまま敵に寝返るのが常の生き方だったとされる。
力が正義の時代、敵に包囲され抵抗が無意味になった局面では、「相手の駒」になることが全く珍しいことではなかったのは、むしろ当然の価値観だと言えるだろう。
そして、敗滅必至の環境を作りお家を存亡の危機に追い込んだのはむしろ主家の方であると、喜んで駒の向きを変え、昨日までの主家に矛先を向けることになった。
しかし、長きにわたる江戸太平の世では、社会秩序の維持のためにはこのような価値観は忘れ去られなければならない。
そして、忠孝こそ武士が守るべき最大の道徳であり、身分をわきまえた立ち居振る舞いを奨励することで、日本は平和な世の中を手にすることができた。
私たちがなんとなく「歴史の真実」と思っている常識は、為政者の思惑によって創作されてきたものに溢れている。
信長の強さと桶狭間の戦い
信長の生き様に話を戻したい。
上記のような、創作色が強いとされる戦いの描写と異なり、桶狭間の戦いそのものは概ね正史とされているのが、2018年現在の状況だ。
戦いの場所や経過には常に新説が提唱されるので確たることは定まらないが、史実として固定していると評価してよいのは、
・信長は、10倍にも昇る今川の大軍勢と戦わざるを得ない状況に追い込まれていた
・勝ち目が非常に薄い戦況の中、奇襲攻撃で今川義元を討ち取った
ということだろう。
この2点については、桶狭間の戦いをどのように評価しても、揺らぐことはない。
そして信長がその人生の中で唯一、織田家そのものが敗滅する危機に追い込まれた瞬間でもある。
ではなぜ、この戦いを評価して信長の強さを説明する拠り所にしてはいけないのか。
それは信長が、その人生の中で二度と、このような戦いに絶対に打って出なかったという事実だ。
桶狭間以降の信長の戦い方とは、戦いに臨む前に相手よりも確実に有利な地を抑え、相手より遥かに勝る軍勢を集めることができ、またその戦いの結果として十分な合理性が見込める時のみに限られている。
つまり、必勝の体制が整った時しか戦わず、必勝の体制ができるまではひたすら外交努力で戦いを避け、また破壊工作で相手の弱体化を図った。
そして確実に勝てる場合にのみ、相手を武力で威嚇し、従わなければ武力で壊滅させ続けた。
少し卑怯な言い方に聞こえるかも知れないが、勝てる相手としか戦わなかったと言い換えてもいいだろう。
信長がその人生の中で、ほとんどの戦で負け知らずであったのは当然だ。
だが言うまでもなくそれは、戦いに勝つ環境を整えるまで戦わなかった結果であり、弱い者いじめや武力の安直な行使とは全く無縁のことである。
これこそが、信長を天下人にもっとも近いポジションに昇らせた哲学であり、強さとは武力ではなく、武力を行使する前の環境づくりにこそあるということだ。
桶狭間の戦いは、信長が家督相続後、弟との権力争いにようやく勝利し家中を取りまとめたわずか2年後の出来事でもあり、さすがにどうすることもできなかったのだろう。
だからこそ、「これしか無い」という一か八かの作戦に全てを賭けて、自らが先頭に立って義元の本陣に突入した。
その結果、10回に1回も成功しないであろう作戦を成功させたことで、家を護ることができた。
そしてその人生の中で二度と、このような作戦を採用することはなかった。
つまり信長の強さとは、間違った成功体験を学習しないということだ。
極めて特殊な環境の中で、自分の勝ちパターンとも信念とも異なる環境でたまたま勝てただけ、という事実を強く学習したことで、その怖さを教訓にしたと言い換えても良い。
だからこそ、信長の強さを語る時には、桶狭間の戦いを参考にしてはいけない。
信長本人が、桶狭間の戦いを反面教師として二度とあのような戦いを起こさなかったにも関わらず、後世を生きる私たちが、桶狭間の戦いこそ信長の強さであると、間違った学習をしては絶対にならない。
ランチェスターの法則
まとめとして、少し小難しい話をしてみたい。
経営学を少しかじっていれば、イギリスの自動車・航空工学のエンジニアであったランチェスターによって提起された、「ランチェスターの法則」を聞いたことがある人も多いだろう。
すなわち、組織の強さとは「数×武器の性能」と定義するものであり、そこから派生して経営にも応用していこうとするものである。
その詳細については、簡単にまとめてもエライことになるのでそれは別の機会に譲る。
要旨、現在のように一騎打ちの戦いの世ではなく、一人が複数を攻撃できる武器を持つ時代には、武器の性能が同等であるとすれば、組織の強さは数の自乗に比例するという事実を明らかにした。
具体的には、A軍30人、B軍20人の勢力がぶつかったとする。
この際、3:2の人数比では、4:9の損害比較になり、B軍は全滅、A軍は生存21、損害9で勝利する、という考え方である。
なお1騎うちの時代であれば、B軍全滅、A軍生存10人、損害20という原則を置く。
小難しい事を言っているようだが、例えば同等の連射機能を持つ、機関銃を持った兵士30人と3人が平面で対峙したとする。
この場合、どう考えても3人は袋のネズミだ。
地の利を得られること無く、また性能に優れた機関銃を手にできなければ、せいぜい3人が敵一人を道連れにできるかどうかであり、敵3人を道連れにすることなどまず不可能である。
しかし逆に言えば、3人は地の利を確保できるような、例えば建物内などに逃げ込んで神出鬼没の戦い方ができれば、勝機を見いだせる可能性もあるかも知れない。
もちろん、戦いが今まさに生起していないのであれば、相手の10倍の連射機能を持つ機関銃の開発に着手しても良いだろう。
指揮官とはこのように、今現在の自軍(自社)の組織力でどのように戦うことができるかを、マネジメントする存在だ。
一般社員であれば、あるいは日曜日の夜にビールを飲みながら楽しむ大河ドラマであれば、
「桶狭間の戦いってすごい!信長ってすげえ!」
と、絶対劣勢の中で奇跡の勝機を手繰り寄せた信長の戦いぶりに心躍らせてもよいだろう。
しかし、そこから学ぶことができる普遍的な教訓は非常に乏しい。
原則から外れた戦い方で例外的に手にすることができた勝利を、戦いを指揮するものが真に受けては絶対にならない。
そう言った意味で、織田信長を凄いと思う経営者は一流になれない、というお話にさせて頂いた。
もちろん、信長の戦いを知り尽くし、いわばランチェスターの法則に忠実に従ったかのような政策を理解した上で、評価している経営者はこの限りではない。
信長の強さを正確にご理解されているので、その場合にはお詫び申し上げたいと思う。
拙い話であったが、わずかでも参考にしていただければ幸いだ。
* * *
いかがだっただろうか? 織田信長という強烈な個性と独自の才能を持った武将だからこそ、奇跡的に桶狭間の戦いは勝利することができたのである。組織をまとめる経営者として、桶狭間の戦いのような無謀な闘いに会社を導くことは避けなければならない、ということであろう。
引用:識学総研 https://souken.shikigaku.jp/