『塗師平六(ぬしへいろく)※』は、漆(うるし)塗り職人の師弟を描く狂言だ。仕事にあぶれた都の塗師(ぬし)が弟子の平六を頼って、越前にやってくる。
出迎えた平六の妻は、師匠が都からやって来たとなれば、商売敵となり夫の仕事がなくなってしまうと考え、「平六は死にました」と偽って追い返そうとする。ところが、仕事場から出てきた平六は、師匠に会いたがり、やむなく妻は平六を幽霊に仕立てて対面させるという内容だ。
「上方のお師匠様ぢや、やれやれお懐かしやお懐かしや」と妻の制止も聞かず、出て行こうとする平六。突然の師匠の訪問に、商売の算段をする妻。職人気質の夫としっかり者の女房、狂言の夫婦は何とも微笑ましい。
西洋では陶磁器をチャイナ、漆器をジャパンウエアと呼ぶように、漆芸(しつげい)は古代から日本を代表する工芸技術だった。平安時代には官職として朝廷に抱えられる職人もいた。椀や膳、重箱などの食器、家具、烏帽子(えぼし)など、漆工(しっこう)の需要は高かったのだ。
さて、狂言の舞台では、後半、面(おもて)をつけ亡霊の姿となった平六が、漆工の手順を織り込みながら、能がかりで謡い舞うのが見どころとなる。
「ある時は布にまかれ、ねぢ木をいれて、ひたねぢに捻(ねぢ)つめらるれば、あら心漆ばけの、ばけそこなはばいかならんと、風呂(ふろ)のこかげに入りにけり……」
この「ねぢ木」のくだりは、漆から余分な水分を取り除くために布に漆を入れて強く絞る工程。風呂とは、埃(ほこり)と風をよけて漆器を乾かす室(むろ)のこと。
漆を塗る刷毛(はけ)と幽霊に「化ける」と掛けるあたりも狂言らしさだ。
※大蔵流では『塗師』
写真・文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。
※本記事は「まいにちサライ」2013年9月18日掲載分を転載したものです。