一人ひとりの考え方は違っていて当然だ。だが、時にはその考え方の違いが組織の運営において致命的な問題になることもある。リーダーシップとマネジメントに悩む、マネジメント課題解決のためのメディアプラットホーム「識学総研」から、その理由を知ろう。
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チームがおかしくなる原因は、大体において「リーダーの当たり前」と「部下の当たり前」が違うから。
昔の話です。
部下の動向に常に気を配り、感情の機微に一喜一憂する管理職は大変な仕事だな、とつくづく思うのですが、とても記憶に残っている管理職の方が、一人います。
その方は、私がマネジメントの本質を知るための非常に良い教訓を与えてくれました。
それは、チームがおかしくなる原因は、大体において「リーダーの当たり前」と「部下の当たり前」が違うから、という事実です。
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彼は、入社間もなく、営業として頭角を現し、社長の信頼も厚い、できの良い人物でした。
そこは実力主義的な会社なので、出来のいい人は、すぐに引き上げてリーダーになるので、彼はよく頑張っていた気がします。
もちろん、「すぐに引き上げてもらえる」ということは、結果を出せなければすぐに降格されてしまう、ということでもあります。
だから、彼は結果を出そうと必死でした。
その甲斐あって、リーダーになって数カ月はチームの勢いもよく、順調に結果が出ており、彼は勢いづいていました。
役員クラス上の方々の憶えもよく、「あいつは、将来会社を背負って立つ」なんて言葉も囁かれていました。
ところがそれから半年後くらいでしょうか。
彼の様子がおかしい、という話が、会議で持ち上がりました。彼のチームの業績が、低迷していたのです。
一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだった、彼のチーム。いったい、何が起きたのでしょう。
私は、彼の話を聞きました。
すると、彼はこう言いました。
「メンバーが仕事をしない」と。
「原因はなんですか?」
「正直……よくわからないです」
私は質問を変えました。
「期首は調子良かったように見えましたが」
「そうなんですよ。その頃は、メンバーもよくやってくれてました」
「今は何が違うんですか?」
「まず、行動量が低い」
「それだけですか?」
「あと、フォローとレスポンスは早く、と言ってるんですが、どうもお客さんの見積もり依頼などへの返信が遅いらしいんです」
「なるほど。それは良くないですね」
「そうなんです。それ以外にも、なんかやる気を感じないというか……。気迫が足りないというか」
「ほほう」
そこで私は、彼の話の裏を取るべく、メンバーに話を聞きに行きました。
最初に話を聞いたのは、三年目のAさんです。
私はこう切り出しました。
「チームの業績が良くないですよね」
「そうですね、最近は肩身が狭いですよ」
と、Aさん。
「原因はなんだと思いますか」
「んー……なんですかね、フォローが甘くなっているとは思います」
「それは、期首からずっとですか?」
「いえ、途中からです」
「なぜ甘くなってしまったのですか?」
「なんというか……忙しくなってきたからですかね……」
「リーダーに言われませんか。フォローしろと」
「言われます」
「それでも、できないですか?」
「……」
Aさんは黙ってしまいました。
これ以上彼から話を引き出すのは難しそうでした。
次に話を聞いたのは、二年目のYさん。
「なぜチームの業績が最近良くないのか、理由に心当たりはありますか?」
Yさんは即答しました。
「やっぱり、フォロー不足ですかね」
「あ、Aさんもそうおっしゃってました」
「だと思いますよ」
「なぜフォローを徹底しないのですか?」
「いや、忙しいですからね」
「リーダーから、きちんとやれと言われないですか?」
「言われますよ」
「それでもできないですか?」
「難しいですね。手持ちの見込みが多すぎて」
「ふーむ……」
私は、あまりにも忙しすぎる、という彼らの主張にどうしても納得できませんでした。なぜなら、残業時間や受注額などのデータを見ると、彼らだけのチームが忙しいとはとても言えないからです。
一方で、リーダーは「行動量が低い」「気迫がない」という、イメージを部下に対して持っています。なにか話が食い違っているようです。
そこで私は、一つの仮説を設定しました。
もしかしたらこれは、プレーヤーとして優れていた営業が、リーダーなどの管理職になったときの悲劇なのではないだろうか、と。
リーダーが、きちんと部下を見ていないのではないだろうか、と。
そこで、記録を調べました。
リーダーが過去に一週間にまわっていた顧客の数と、現在のメンバーが回っていた顧客の数。効率や商談の内容まで。
すると、予想はあたりました。要は、リーダーが、部下の能力を過剰に見積もっていたのです。
真相はこうでした。
このリーダーは、とにかく行動量が多く、足で稼ぐ営業を地で行く人物でした。
営業マンとして、頭角を現すことができたのは、そのためです。
だから、部下にそのやり方をさせました。
「行動量をとにかく稼げ」と、指示を出したのです。
部下たちはいわれるがまま、行動量を増やしたことで、一瞬は成果が出ました。
進捗の悪かった「見込み客」から一気に注文が入ったのです。
期首の良い調子はそのためでした。
しかし「見込み」を狩り尽くすと、そこからはお客さんを育てていかなければならず、ある程度の頻度で、フォローをかけていかなければなりません。
そして、多くのお客さんに対してのフォローは非常に工数がかかります。よって、行動計画を緻密につくらなければなりません。
リーダーは、もともと優秀なので、それを自然にこなしていました。
しかし、部下たちの能力では、それを自然にやるのは難しく、途中から業務があふれてしまい、お客さんへのフォローが甘くなり、徐々に成果が上がらなくなってくる、ということだったのです。
私はそのことをリーダーと現場に伝えました。
「リーダーが当たり前のようにできていたこと」は、必ずしも部下にも当たり前のようにできるわけではありません、と。
それを聞いたリーダーは、「信じられない」という表情でした。
「訪問計画を立てるのは当たり前だし、効率の良い動線を考えるのも、営業の役割。そんなの当たり前だろう」
メンバーたちは言いました。
「いや、そんなの初めて聞きました」
リーダーはいいました。
「工夫すりゃできるだろう」
みんなはモジモジしています。
そこで、言いました。
「もちろん、二年、三年かければ皆できるかもしれません。でも、あと半年でできるようになるかどうかは、わからないですよ」
メンバーたちも言いました。
「やり方をもっと詳しく教えてほしいです」
そして、リーダーは観念したように言いました。
「すまん。そこはちゃんと、やり方を作るわ」
「お願いします」
上のように文字にしてしまうと、「なーんだ、そんなことか」と思う人も多いかもしれません。
ですが、このように「当たり前」が食い違っており、チーム運営がうまく行っていないケースはとても多いのです。
繰り返しますが、チームがおかしくなる原因は、大体において「リーダーの当たり前」と「部下の当たり前」が違うからです。
もし現在、チーム運営に苦しんでいるリーダーの方がいたら、リーダーの「そんなの当たり前だろう」に一度、メスを入れてみてください。
そこからわかることは、想像以上に多いと思います。
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いかがだっただろうか。このケースはリーダーの「当たり前にできること」が部下にはできないこと・しらなかったことであったことから生まれた悲劇である。リーダーの当たり前とする「思い込み」は部下にとっては新しいことかもしれない。自分にとっての「当たり前」や「思い込み」を再考して検討するということは、問題点の解決に多いに役立つこととなるに違いない。
引用:識学総研 https://souken.shikigaku.jp/