文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「物心がついてから今日まで、私が個人的に接触したすべての人が、師であり友であった」
--中谷宇吉郎

物理学者で随筆家の中谷宇吉郎は、明治33年(1900)石川県の片山津に生まれた。金沢の第四高等学校から東京帝国大学理学部物理学科に進み、寺田寅彦の指導を受けた。

大学卒業後は、理化学研究所を経てイギリスに留学。帰国後、北海道大学の理学部創設にあたり助教授として赴任、のち教授となる。以降、生涯にわたって雪や氷に関する研究に取り組み、「雪博士」の異名をとった。雪の結晶、凍土、永久凍土、霧、着氷、氷の単結晶、グリーンランドの積雪など、さまざまなテーマの研究において世界的に評価される業績を上げた。

掲出のことばは、随筆『寺田先生の追憶』の中に書かれたもの。作家の吉川英治が座右の銘とした「吾以外皆吾師」ということばにも通ずるものだろう。つづけて中谷宇吉郎は、こう綴っていく。

「どういう人でも、よく見れば必ず長所があるので、その点を表立てて見ることにすれば、自分の接触する人は誰でも師であり、友であると、この頃私はかなり自然にそういう気持になっている。こういう心の持ち方は、明かに寺田寅彦先生の感化を少し変形してではあるが受けたものと、自分では思っている」

中谷が綴るところによれば、寺田寅彦は、どんな人でも憎んだり避けたりするようなことはなかった。大勢いる学生の中には、随分と気障な男や打算的な者もあって、学生仲間からは嫌われたりしていたが、寺田はそういう連中に対しても親身になってよく面倒を見ていたという。

時には、余りのことに癇癪を起こして叱りつけるような場面はあっても、すぐに怒りを鎮め、「今の若い連中には、無限に気を長く持たなければならないようだ。それぞれ長所はある」といった台詞を口にするのが常だったという。

中谷は、そんな寺田から物理だけでなく、人間の生き方とでもいったものを学んでいたのだろう。かつて寺田寅彦が師・夏目漱石から人生を学んだように。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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