文/酒寄美智子
2017年は明治の文豪・幸田露伴の生誕150周年。露伴、娘で作家の幸田文、その娘で随筆家の青木玉さん、そしてその娘でエッセイストの青木奈緒さんを生んだ「幸田家」にとって、ことばを紡ぐことは呼吸することや食べることと同じように、生きることにつながっています。
奈緒さんの著書『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』(小学館)には、“食”に生き方を映すことばが収められています。今回は同書から、奈緒さんにとっては祖母・文さんの記憶とも深く結びつく“食”にまつわることばを2つご紹介します。
■1:「旨いものは宵に喰え」
おいしいものはそのときを逃さず最良の瞬間に味わいましょう、という意味が込められたことば。贈り主や食そのものへの敬意が込められた一言です。
文さんがよく口にしたといい、奈緒さんは、著書『幸田文のマッチ箱』でも知られる作家・村松友視さんと文さんの“生しらす”にまつわるエピソードにその“心”を見ていました。
静岡県の清水で育ち、しらす漁が解禁される3月21日になるとなんとなく心はずむ、という村松さんが、自ら新幹線で漁港まで駆けつけ持ち帰った生しらすを手に、幸田家を訪ねたときのこと。
「ほかのお宅へもお届けの心づもりがある村松さんとは、玄関先だけのやりとりである。しらすの食べ方を説明して帰ろうとなさる村松さんにほんのいっときお待ち頂き、祖母はお勝手から小皿と醤油、箸を持ってくると、その場でひと口味わって『おいしい!』とにっこり笑って頭をさげ、それ以上お引き留めすることなく送り出したのだそうだ。ここでのろのろしていては無粋なのだし、行儀は棚の上に上げておいて、何より先に味わうのが、このとき祖母にできた最大の感謝の表現だったに違いない」(本書より)
玄関のあがりばなにちょっと膝をつき、しらすをぱっと口に運んでにっこり微笑む文さん。その姿を思わず想像して、こちらまで笑顔になってしまうようなエピソードです。
獲れたて、できたて、作りたても“食べどき”なら、いただいたものをその場ですぐに口に運び「本当にうれしい」という気持ちを伝えるのもまた、最良の“食べどき”。文さん自身、随筆「活気」の中で、“許せる範囲の行儀わるさなら目をつぶって、食べどきを逃さないほうが、私は好きです”とも記しています。
いつも背筋をぴんと伸ばしているようで「ちょいと行儀のわるい食べかたには、ひと味ちがったおいしさがあるように思いませんか」
(「活気」より)
軽やかさも併せ持つ、文さんの人柄が伝わるエピソードです。
■2:「努力加餐」
本書に収められた、食にまつわるもうひとつの表現が「努力加餐(どりょくかさん)」です。
食欲がないことに甘えず、食にきちんと向き合い、食べようとする努力をおこたらない、という心得を伝えるもので、奈緒さん自身、風邪のときや夏の盛りの食が細ったときに何度も聞かされた、と回想します。
「『努力加餐』は私たち家族にとっては決して気楽なことばではない」(本書より)と奈緒さん。食欲がないけれど、身体のために無理をしてでも何か食べなければ。そう考えたり、言われたりするときの苦い薬を飲みこむような感覚は、多くのサライ世代にとっても身に覚えのあるものでしょう。
奈緒さんがこのことばから思い浮かべるのは、文さんが随筆「荒々しい好意」に記したエピソード。
肺炎で入院中、食欲のない文さんのため、看護師さんが世間話を装って文さんの好物を聞き出し、その日の夕食に蕎麦を取り寄せます。文さんはというと、薬味のねぎの匂いやある種の“策略”にかかり好物を答えてしまった腹立たしさがないまぜになり、食欲どころではありません。しかし、「今夜は召し上がっていただきます」という看護師さんに気圧され、吐き気をこらえ汗みずくになって蕎麦を飲みこんだといいます。
「食欲がないなど、今の場合はもう、病人の怠けとしかいえません」という看護師さんの厳しいやさしさに触れ、文さんは「なおりたければ、病人は病人なりの努力がいるはず」と省みた――「荒々しい好意」に綴られたその顛末。作品中には「努力加餐」の文字こそないものの、内容の厳しさが通じている、と奈緒さんはいいます。
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私たちは生きているかぎり、日々さまざまなことばを使い、一日も欠かすことなく食事をします。そう考えれば、食にまつわることばに生き方が映し出されるのはごく自然なこと。
ふだん使っている食にまつわることばを見直すことで、それまで気づかなかった自分自身の生き方の一端が見えてくるかもしれません。
【参考図書】
『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』
(青木奈緒・著、本体1,500円+税、小学館)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388502
文/酒寄美智子