今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「よ所(そ)ながらもの語りききて胸とどろかし、まのわたり文を見て涙にむせび、心緒みだれ尽して迷夢いよいよ闇(くら)かりしこと四十日にあまりぬ」
--樋口一葉

わずか24歳で早世した樋口一葉の最晩年の1年余は、日本文学史上における「奇蹟の期間」ともいわれる。彼女に『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』といった稀有な短篇小説を書かせたこの日月は、天上の神ならぬ身の誰も、用意できたとは思えないのである。

この頃の一葉の生活は、戸主として母と妹を抱え、衣食にも事欠く貧窮ぶり。日記にも、「今日夕はんを終りては、後に一粒のたくわえもなし」といった記述が読める。

一方で、心の奥底には、かつての文学の師・半井桃水への断ちがたき恋情が消え残っていた。掲出のことばは、そんな思いを綴った日記の一節。捨て去ったはずの思いがことあるごとにこみあげ、一葉の心は乱れに乱れるのである。

しかし、この片恋こそが、貧しい実生活とともに、この時期の一葉の作品にリアリティと奥行きを与えたといわれる。

ちなみに、樋口一葉は、運命の賽のころがりようでは、夏目漱石の義姉となるところであった。

漱石の父・夏目小兵衛直克が警視庁に勤務していた頃、配下に一葉の父・樋口則義がいた。そのため、互いに年頃を迎えていた漱石の兄の大一と樋口一葉との間に結婚話が浮上しかけていたのだ。

ところが、樋口則義には借金癖があった。これを嫌った漱石の父がこの話を取りやめにしたという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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