文/梶 尚志(総合内科専門医、医学博士)

脳の健康を考えるときに、日常の小さな変化で大切なことがあります。「テレビの音が大きいと言われる」「食事会などで会話についていけない」。そんなことはありませんか。今回は、見過ごされやすい「聞こえづらさ」について考えてみましょう。
こうした変化は年齢のせいとして片づけられがちですが、難聴は単なる耳の老化ではありません。聞こえにくさは、人との会話や外出の機会、情報の理解、そして脳への刺激にも深く関わっています。
難聴は認知症予防で重視されるリスク因子
認知症予防の分野の研究グループでは、中年期の難聴は認知症の重要なリスク因子の一つとして示され、教育、血圧、糖尿病、肥満、喫煙、うつ、身体活動、社会的孤立などと並び、聞こえの問題が認知症予防の重要項目として扱われています。(※1)
もちろん、難聴がある人が必ず認知症になるわけではありません。認知症は、年齢や、遺伝的素因、血管因子、生活習慣、栄養状態、社会参加など、多くの要因が重なって起こります。しかし、聞こえづらさは「対策できる可能性があるリスク」として注目されているのです。聞こえの変化も、早めに気づけば生活習慣を見直すきっかけになります。
(※1) Livingston et. al The Lancet, 2024
聞こえないことで、脳の負担が増える
では、なぜ耳の問題が脳と関係するのでしょうか。ひとつは、聞こえにくい状態では、脳が常に「推測すること」を強いられるからです。相手の言葉がはっきり聞こえないと、人は表情、口の動き、前後の文脈から「たぶんこう言ったのだろう」と推測しています。これは、実は脳にとって大きな負担なのです。
脳は、聞こえた音を言葉として処理し、返答を考えています。しかし、音が不十分にしか入ってこないと、脳は音を補うことに力を使い、会話を記憶したり判断したりする余力が少なくなります。このような状態は「認知の負荷」が高い状態と考えることができます。聞こえにくい人が、人と話した後にどっと疲れるのは、決して気のせいではないのです。
会話が減ると、脳への刺激も減っていく
もうひとつは、聞こえづらさがきっかけで、社会参加が減ることです。聞き返すのが申し訳ない、話の流れについていかれない、騒がしい店では何を言っているかわからない。こうした経験が続くと、人は少しずつ集まりを避けるようになります。
前回のオーラルフレイルの記事で、噛む力や飲み込む力が低下すると、食事量だけでなく会話や外出も減るとお伝えしましたが、難聴も同じです。聞こえにくさがあると、会話の機会が減り、人と会ったり笑う時間が減り、新しい情報を受け取る機会も減ります。会話は、言葉を聞き、意味を理解し、記憶と照合し、感情を読み取り、返事を考えるといった高度な脳の活動です。その機会が減ることは、脳にとって刺激の減少につながります。
また、難聴は「返事をしない」「話を理解していない」などと誤解されることがあります。その結果、自信を失い、人との会話を避けるようになる悪循環に陥りやすくなります。認知症予防では、孤立を防ぎ、人とのつながりを保つことがとても大切です。その意味でも、聞こえのケアは脳を守る生活習慣の一部なのです。
補聴器は「会話を取り戻す道具」
難聴に対する代表的な対策が補聴器です。補聴器と聞くと、「かなり耳が遠くなってから使うもの」「高齢者らしく見える」と抵抗を感じる方も少なくありません。しかし、メガネで視力を補うのと同じように、補聴器は聞こえを補う医療機器です。
補聴器などで聴覚へ介入することが認知機能に与える影響を調べた重要な研究では、70〜84歳の未治療難聴者を対象に、聴覚介入と健康教育を比較した研究では、認知機能低下リスクが高い集団において、3年間で認知機能低下が約48%少なかったと報告されました。(※2)
この結果は、「補聴器で認知症を必ず防げる」という意味ではありません。しかし、聞こえを改善することが脳の健康を支える可能性を示しています。
大切なのは、聞こえづらさを我慢しないことと放置しないこと。耳垢、加齢性難聴、中耳炎、薬剤の影響、騒音による内耳障害など、聞こえの低下にはさまざまな原因があります。まず耳鼻咽喉科で聴力を確認し、必要に応じて補聴器を検討するようにしましょう。補聴器は装着した日から完璧に聞こえるものではなく、脳が音に慣れる時間も必要です。早めに始めるほど、日常会話に適応しやすくなります。
(※2)Lin et.al、The Lancet, 2023
耳と脳を支える栄養という視点
ここで、栄養の視点も加えて考えてみましょう。ただし、栄養で難聴が治るという意味ではありません。加齢性難聴の背景には、内耳の有毛細胞や神経、血流の変化などがあります。栄養は、補聴器や耳鼻科診療の代わりではなく、耳と脳を支える土台づくりとして考えることが大切です。
まず意識したいのは鉄です。鉄は赤血球の材料であり、酸素を全身に運ぶ役割を担います。鉄欠乏性貧血と感音難聴の関連を調べた研究では、鉄欠乏性貧血がある人で難聴の頻度が高いことが報告されています。(※3)また、高齢者を対象にした研究では、鉄の状態が記憶、気分、身体機能と関連することも示されています。(※4)鉄不足は、耳だけでなく、脳と筋肉の働きにも影響し得る重要な栄養の問題なのです。
(※3)Schieffer et. al、JAMA Otolaryngology, 2017
(※4)Portugal-Nunes et. al、Nutrients, 2020
次にビタミンB群です。ビタミンB12や葉酸は、神経の働きやホモシステインという悪玉アミノ酸の代謝に関わります。ビタミンB12が不足すると、貧血だけでなく、しびれ、ふらつき、記憶力低下が起こることがあります。肉、魚、卵、乳製品をあまり食べない人、胃薬を長く飲んでいる人、胃の手術歴がある人では不足に注意が必要です。
マグネシウムも見逃せません。マグネシウムは神経の興奮を調整し、血管の働きやエネルギー産生に関わります。騒音性難聴の分野では、マグネシウムが内耳を守る可能性も研究されています。
ただし、「サプリメントを飲めば難聴を防げる」と言える段階ではありません。海藻、豆類、ナッツ、玄米、そばなど、日常の食品でマグネシウムが不足しにくい食生活を整えることが現実的です。
さらに、抗酸化栄養素も耳と脳の老化対策として重要です。内耳は酸化ストレスの影響を受けやすい組織です。2025年に発表された食事性栄養素と聴力に関する研究では、βカロテン、カロテノイド、魚、たんぱく質、食物繊維などの摂取が聴力低下を予防する可能性が報告されています。(※5)
ですから、野菜、果物、魚、大豆製品、ナッツを組み合わせる食事は、耳だけでなく血管と脳の健康にもつながるわけです。
(※5)Zhang et. al、Frontiers in Nutrition, 2025
今日からできる聞こえのチェックと食事の工夫
まずは、聞こえの変化を生活の中で確認してみましょう。
・テレビの音量が以前より大きくなった
・家族に聞き返すことが増えたと言われる
・複数人での会話が苦手になった
・電話の声が聞き取りにくい
・玄関のチャイムや電子レンジの音に気づきにくい
このような変化があれば、一度、耳鼻咽喉科で相談することをおすすめします。
そして、食事では、糖質中心に偏らないことが基本です。朝は卵や納豆、昼は魚や肉、夜は豆腐や鶏肉に野菜を添える。赤身肉や魚で鉄とビタミンB群、海藻や豆類でマグネシウム、緑黄色野菜や果物で抗酸化栄養素を補うようにしましょう。食が細い人は、味噌汁に卵を落とす、豆腐を加える、間食を甘いお菓子ではなく豆乳ヨーグルトやナッツにするなど、「今の食事に足す」方法も続けやすいでしょう。
家族の関わり方も大切です。聞こえにくい人に大声で怒鳴るように話すと、かえって聞き取りにくく、本人の自尊心も傷つきます。正面から、口元が見える位置で、少しゆっくり、短い文で話す。テレビや水道音など、周りの音を消してから話す。大事な用件は紙やスマートフォンの文字でも確認する。こうした配慮は、本人を孤立させないための大切な支援です。
聞こえを守ることは、人とのつながりを守ること
歩幅の変化、むせ、そして聞こえづらさ。これらは一見別々の問題に見えますが、共通しているのは、脳への刺激、栄養状態、社会参加に関わっているという点です。歩ける体が外出を支え、噛める口が栄養と会話を支え、聞こえる耳が人とのつながりを支えます。
「聞こえづらい」は、年齢のせいだから我慢するものではありません。聞こえを補うことは、会話を取り戻し、人とのつながりを守り、脳への刺激を保つことです。耳鼻咽喉科での聴力確認、必要に応じて補聴器を活用すること。そして鉄・ビタミンB群・マグネシウム・抗酸化栄養素を意識した食事を続けること。このダブルアプローチが、これからの認知症予防における現実的な選択肢になります。
文/梶 尚志(かじ・たかし)

梶の木内科医院 院長・七夕医院総院長。
総合内科専門医、腎臓専門医、家庭医、日本抗加齢医学会専門医、健康スポーツ医。
1989年、富山医科薬科大学(現富山大学)医学部卒業。2000年、岐阜県可児市に梶の木内科医院開設。年間約5万人の患者を診察する中で、通常の診察では解決できない不調が多いことに危機感を感じ、改善策を模索。分子整合栄養医学との出会いをきっかけに、不調の原因が栄養状態にあることを確信する。2025年7月、新たに栄養療法に特化した七夕医院名古屋分院を開設。大人から子どもまで栄養学的なアプローチで治療と生活指導を行い、不調の改善に取り組んでいる。

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