文・絵/牧野良幸

NHKの連続テレビ小説『ばけばけ』が3月28日の放送で終了した。『ばけばけ』は小泉八雲として知られるギリシャ生まれのアイルランド系作家ラフカディオ・ハーンと、妻の小泉セツをモデルにしたドラマだった。
ドラマでは主人公が『KWAIDAN(怪談)』を出版したものの、残された時間はわずかで、すぐに亡くなってしまう。ドラマは足早に主人公の死後が語られて終了したので、“ばけばけロス”になった方もいるかもしれない。
そこで今回は『ばけばけ』のモデルになった小泉八雲の原作を映画化した『怪談』を取り上げてみたいと思う。映画を見て『ばけばけ』の余韻を引き延ばしてはどうか。
『怪談』は1965年の作品で、監督は『切腹』(第20回 https://serai.jp/hobby/319235)や『人間の條件』(第57回 https://serai.jp/hobby/1036668)を撮った小林正樹である。
映画はオムニバス形式で「黒髪」「雪女」「耳無し芳一の話」「茶碗の中」の4話で構成されている。うち「雪女」と「耳無し芳一の話」が『怪談』から取られている。「黒髪」(原題「和解」)と「茶碗の中」は別の著書に収録されている作品だ。
この映画が公開された1965年、僕は7歳だった。この頃『海底軍艦』という特撮映画を見に行った記憶が残っているが、さすがに『怪談』は見ていない。初めて観たのは2000年以降、NHKの衛星放送だったと思う。
僕のこの種の映画の初体験は『怪談』の3年後に公開された『妖怪百物語』(1968年)という映画である。これは大映が子ども向けに制作した妖怪映画で、小泉八雲の『怪談』にも収められた「のっぺらぼう」や「ろくろ首」が出てくる。暗い映画館で見る妖怪たちはとても怖かった。
当時は『悪魔くん』『ゲゲゲの鬼太郎』『妖怪人間ベム』などが放映されて妖怪ブームだった。漫画雑誌には妖怪やお化けの話、心霊写真などが載り、怖いもの見たさで人気があった。
お化けが好きなのは子どもだけではない。テレビで「四谷怪談」が放送されたり、『ザ・ガードマン』のような刑事ドラマでも夏には怪談のエピソードを入れていたほどだ。怪談や妖怪がエンタテインメントとして広く楽しまれていた時代だった。
その中で小泉八雲の『怪談』だけは文学作品という立ち位置だったと思う。小林正樹監督の『怪談』も文芸作品の映像化という印象だ。当時のトップスターが多数出演している。大掛かりなセットで行なった映像は幻想的であると同時に、人工的な映像美もあわせ持っている。
映像だけでなく音楽も特徴的で、いわゆる「ヒュ〜ドロドロ」のような音楽ではなく、抽象的な音響を使った前衛的なもの。担当したのは現代音楽の第一人者だった武満徹だ。無音の場面も、音楽が入る時と同じくらい重みのある映像となっている。
第一話の「黒髪」は、貧しい武士(三國連太郎)が妻(新珠三千代)を捨てて、裕福で地位のある家柄の娘と結婚する話だ。しかし新しい妻はわがままな女だった。昔の妻が恋しくなり、再び家に帰り一夜を過ごすが……というお話。屋敷のセットだけで、かなり不気味さを演出している。
第二話「雪女」は豪雪の中、農夫巳之吉(仲代達矢)が雪女(岸惠子)と会う話。雪女は「私と会ったことを誰にも言ってはならぬ」と口止めする。生き延びた巳之吉は、やがて綺麗な娘と結婚し、幸せな生活を送るが、ふとしたことから豪雪の時の体験を嫁に話してしまい……というお話。岸惠子の演じる雪女が妖しく美しい。
ここで画面に「休憩」の文字が出る。この映画は3時間2分と長いのだ。
昔は映画が長いと途中で休憩が入ったのである。その間にトイレに行ったり、売店に飲み物や食べ物を買いに行くわけだ。売り子さんが館内の通路を歩きまわり、飲み物や食べ物を販売していたこともある。
当時はポップコーンのような洒落たお菓子はまだない。小学生だった僕の定番は小判型のカステラだった。厚みがあってほんのり甘く、その映画館だけでしか売っていなかった。カステラを食べるのも、怪獣映画や妖怪映画を見に行く時の楽しみだった。
さて、休憩も終わったところで第三話「耳無し芳一の話」である。やはりこの映画のメインであろう。
琵琶の名手として知られていた芳一(中村賀津雄)の前に、ある日、武者(丹波哲郎)が現れる。平家の霊たちの前で『平家物語』を吟じてほしいと言うのだ。武者が芳一を連れて行ったのは大きな屋敷(実は墓場)。その中央に芳一は座り「壇ノ浦の戦い」の場面を吟じる。映像では壇ノ浦の戦いの場面が現れ、平家の怨霊たちが静かに聴き入っている様子も映し出される。
「耳無し芳一の話」は僕も小学生の時に小泉八雲の『怪談』で読んだことがあって、『怪談』の中ではいちばん印象を受けた話だった。経文を体中に書かれた芳一が武者に発見されないように息を殺している時の怖さ。そして経文を書くのを忘れた耳を、武者が引きちぎって持ち去ってしまうところが、普通の妖怪の話と違い、生々しい感じがして怖かった。僕が読んだのは児童書の『怪談』だったので挿絵が載っていて、それも想像を掻き立てた。
実は小泉八雲はずっと日本人だと思っていて、外国人と知ったのは随分後である。それでも、何の違和感もなく読んだのだから、八雲の再話作家としての才能を感じる。また夫に怪談の話を聞かせた、妻セツの語り部としての役割も大きかったと思う。
ちなみに小泉八雲の『怪談』の中で、僕が怖かった話をもう一つあげるなら「ろくろ首」だ。小泉八雲のろくろ首は、首が伸びるのではなく、首が身体から離れてさまようのである。これも怖い話だった。映画『怪談』には「ろくろ首」が取り上げられていなくて、個人的にはホッとしている。
「耳無し芳一の話」の余韻が残る中で始まる第四話「茶碗の中」は、小品といった感じの話である。
時代は明治。ある作家が物語を書いている。物語は、水を飲もうとした武士(中村翫右衛門)の茶碗の中に、見知らぬ侍の顔が映っているという奇妙な話だ。しかしこの話はなぜか作家の蒸発のため途中までしか語られない。実はその作家にも奇妙な運命が待っていた……という話。直接お化けや幽霊は出てこないがひんやりする話である。
『怪談』は今見ても怪奇な世界に引き込まれる映画だ。もしラフカディオ・ハーンが生きていたら「コノ、エイガ、ミタイ。」と言うかもしれない。
* * *
【今日の面白すぎる日本映画】
『怪談』
1965年
上映時間:182分
原作:小泉八雲
監督:小林正樹
脚本:水木洋子
音楽音響:武満徹(補佐 秋山邦晴 奥山重之助 鈴木明)
美術:戸田重昌
出演者:三國連太郎、新珠三千代、仲代達矢、岸惠子、中村賀津雄、丹波哲郎ほか
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記 1971-1976 増補改訂版』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/

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