
小泉セツ&小泉八雲の夫婦がモデルとなった朝の連続テレビ小説『ばけばけ』が注目されています。実はその小泉夫妻と、明治の文豪・夏目漱石と妻・鏡子は、不思議と重なり合う縁で結ばれていた、というのをご存じでしょうか。
夏目漱石の研究家として知られ、『心を癒す漱石の手紙』などの著書を持つ、作家で雑誌編集記者の矢島裕紀彦さんによると、二人の文豪とその妻たちには奇縁と呼ぶしかないような不思議なつながりがあると言います。
多数の文献や手記を紐解きながら、二組の夫婦の知られざる素顔を全26回の連載にて紹介します。
第24回では、小泉八雲と夏目漱石の講義の様子から、二人の作家を尊敬していた芥川龍之介と志賀直哉をご紹介します。文学だけでなく講義さえも人々に影響を与えるという、稀有な存在であったことがうかがえます。
文・矢島裕紀彦
美しいと評された八雲、独創的だった漱石。いずれも人気を博したふたりの講義

東京帝大の英文科講師としての小泉八雲は、聞きとりやすい美しい英語で講義したという。テキストに頼らず、簡単なメモを片手に、自身で考えた内容を口から発するというスタイルだったが、ロジックは明晰で、学生たちが書き取ればそのまま美しい文章が出来上がっていた。学究的に文学史を講じて、歴史的、組織的な視点から学生たちに知識を与えるという従前の一般的なやり方でなく、文学史上に名高い作品から同時代の作家の作品まで、自分の鑑賞眼で批評し学生たちに伝えた。一度口を開けば、たちまち教室全体を詩的空気に包みこみ酔わせてしまうような講義。テニスンの詩にある比喩について説明するため、タンポポを摘んできたりもした。後年、上田敏が《感化力が光のように迸つてゐた》と語った所以だろう。八雲はまた、学生たちに懸賞論文を書かせ、優秀な作品には、自費で準備したポーの全集やホーソンの全集、シェークスピア全集などを贈呈したという。
講義の内容も人柄も抜群の人気があり、突然の解任話が浮上したとき、学生たちが大々的な留任運動を繰り広げたのも、自然のなりゆきであったろう。
東京帝大解任後、最晩年の早稲田大学での八雲の講義の模様は、教え子の野尻抱影によって書き留められている。
初めて教卓に立たれた先生を、わたしたちは息を詰めて仰いだ。顔は写真で見る通り柔和で、小柄なからだに、確かグレーのチェッカーの厚い服を着ておられた。第一印象はごく優しい、どこか女性的ともいえる声音だった。それが静かな音調で、英文学初期のペイオウルフから講述を始められたが、口を突いて出る言々句々がすでに美しい文章で、メモを取るわたしたちは陶然とさせられた。(『ヘルン先生の思い出』)
東京帝大で八雲留任運動を主導した小山内薫が、《独眼白髯の老教授、其声は其文の如く美しい》と評したその講義ぶりは、教場を変えても失われることなく死の2日前まで続いたのである。ちなみに、野尻抱影はのち星の研究に力を注いだ文学者で、『鞍馬天狗』や『天皇の世紀』で知られる作家・大佛次郎の兄である。
八雲と入れ代わりに東京帝大の講師となった夏目漱石の授業は、当初、学生たちにとって理論的、分析的な内容が難解であり、退屈にも思えたらしい。八雲の情緒的な授業に比べ、漱石の授業の方が西洋的であり過ぎたと言うべきか。
そこには、当然、八雲人気の裏返しの反発心も影を落としている。一高での漱石の英語の授業は、ユーモアの横溢した教えぶりで、教室はすこぶる楽しくて明るい雰囲気だったと伝えられるから、大学の教壇では、漱石の側にもちょっと無用な力みが入っていたのかもしれない。漱石が学生たちに「諸君の希望によっては英語で講義してもよろしいが」と投げかけ、希望する学生は皆無だったという逸話も、八雲の見えない影を真ん中にした、妙な緊張関係の写し鏡のように見える。
学期が改まると、漱石はそれまでの『英文学概説』と並行して、シェークスピアの『マクベス』を講じはじめた。これが大変な人気を博し、教室は学生が入りきれないほどの賑わいを見せるようになっていく。受講生の布施知足がこんな証言を残している。
教師は夏目金之助氏、奇麗に髪をわけて、髯を撫付けた「意気な先生」、声は朗らかで語調はゆったりした、講義は極めてよく分る。(略)まづ朗読、それから字句の講義、次に主要な所へ来ると、人物の解剖、事局の発展其(その)他心得なければならぬ処々(ところどころ)を、先生独特の批評眼で縦横剖析して古今の註釈者の異説をも取捨せられる。果ては沙翁の文章の批評にも及んで、この metaphor は巧いとか拙いとか、この書き方はいゝとか悪いとか、聴いて居ると実に歯切れがよくて面白い。(『漱石先生の沙翁講義ぶり』)
いつのまにか『英文学概説』の講義も人気となり、漱石は東京帝大になくてはならぬ看板教師と目される存在となる。もうひとつ、一学生の記した『文科大学英文科実況』で漱石の名講師ぶりを紹介する。
氏の受持は一週六時間で、中三時間は口述で文学内容論と題するもの。之は去年の春から引続き未だに了らざる大講義で(略)我等は其頗る独創的の見識に服するので最も喜んで聞て居る講義の一つである。他の三時間は重(おも)に沙翁研究で(略)天成の文学者たる氏の事とて徒らに文法の末に拘泥すると異つて頗る趣味のある講義毎時二百名以上の聴講者を有して居る。兎に角学生一般からは歓迎されて居る方で小泉氏の後継者として少しの不平も出させない処は天晴(あっぱれ)の腕前と云はねばならぬ。併し之れは氏の人格と其修養の然らしむる處であると思ふので一言にして云はゞ氏は極めて俗気の少ない人で或は一種の悟を開いた人とも云べきである。
八雲人気の裏返しの冷眼視は、もはやどこかへ吹き飛んでいる。
芥川龍之介、志賀直哉。ふたりの天才を魅了したふたり

八雲没後10年余を経た大正4年(1915)、学生たちが書き取った八雲の東京帝大における講義録の大著2冊が、横浜の友人マクドナルドの尽力で、コロンビア大学のジョン・アースキン教授の編纂のもと、米国の出版社ドッド・ミード社から刊行された。これはアメリカやヨーロッパで高く評価され、翌年には続篇も出版された。文学に向き合う若い人たちに八雲が贈った印象的な言葉をひとつ、紹介しておきたい。
文学を愛する人は、どんな名医からも得られない、悲しみを癒す薬を持っているのです。苦しいことがあってもそれを、必ずその場限りでない、貴いものに変えることができるのです。(略)苦しみを知らぬ人が何か立派なものを書いた例(ため)しはなく、これからもまたないでしょう。すべて偉大な文学は悲しみの肥沃な土壌から生れ出るのです。そしてそれこそゲーテの有名な詩句の真意でもありましょう。
悲しみの中にパンを食べたことのない人――
孤独の夜を寝床に起きて
泣き明かしたことのない人――
そういう人は、あの天の力を知らぬ(『生活と性格の文学の関わり方について』)
漱石の愛弟子で東京帝大英文科出身の芥川龍之介も、大正8年(1919)春、インフルエンザで床についたとき、八雲のこの講義録2冊(『Interpretations of Literature (文学の解釈)』)とその続篇(『Appreciations of Poetry (詩の鑑賞)』)を入手して読破した。折から、たまたま要請された『余の愛読書と其れより受けたる感銘』と題する雑誌のアンケートに応じてこれらの著作を上げ、こう綴った。
此の一週間ばかりに病床にて読みし小泉八雲氏のInterpretations of Literature 二巻及びAppreciations of Poetry 一巻を近来にない好著と存じ、邦人の英文学に親しまんとするものにとりて絶好の指針たるは元より「怪談」「心」等を愛読するものにとりても、殆ど八雲氏と膝を交へてその卓励風発を耳にするの概(おもむき)ある所快心極りなかる可(べ)く候。
大正に入ってから大学に進学した芥川は、漱石の講義も八雲の講義も聴講が叶わなかった。が、幸い最晩年の漱石の門下生となり、その謦咳には直接にふれ、《漱石先生を最も難有(ありがた)き作家と存居候》と語るまでになっていた。その芥川が、八雲の講義録を読んで、八雲の声を間近に聞いたかのような快心を味わったというのだから、貴重な読書体験と言わねばならない。
この一文はまた、芥川が、アメリカの版元から出版された八雲の『Kwaidan (怪談)』と『Kokoro(心)』をも、すでに読んでいたことを示している(日本語訳はまだ世に出ていない)。日本や中国の古典に材をとって『鼻』『杜子春』などの名作を紡ぎ出した芥川の手法は、多少なりと、八雲の再話文学に通ずるところがあったようにも思える。
志賀直哉も、芥川龍之介と同じように、八雲と漱石、両人からの強い影響を意識していた。志賀は東京帝大で漱石の講義を聴き、その後、朝日新聞への小説連載をめぐって直接に漱石のもとを訪れ面談したこともあった。「一番好きな作家は夏目さん」と語り、その作品は逐一読んで、人間的にも敬意を抱いていたと表明している。一方で、小説を書きはじめた学習院高等科時代には、八雲の著書(英文)をさかんに読んでいた。学校の図書館に頼んで、アメリカから八雲の本をすべて取り寄せてもらって耽読したのだ。その後、自身でも丸善を通じて買い求め読み返したという。
熱海の稲村に住んでいた60代半ば頃の談話筆記でも、志賀はこう語っている。
文学者として影響をうけたといつてもいいのは、矢張り夏目さんかも知れない。文章の影響があつたとは云へないが、何となく影響された。(略)それからラフカディオ・ハーン。文章を書く上に一番参考になつたのはハーンではないかとも思ふ。あの一種単純な書き方など、学ぶところがあつたと思ふ。(『稲村雑談』)
志賀直哉は「小説の神様」の異名を冠せられたことで知られるが、その潔癖な文学的精神には漱石の影響が、明確で簡潔かつリズミカルな文体には八雲の影響があったということだろう。大正3年(1914)の一時期、志賀は松江城の堀端で暮らしてもいる。翌年、松江を郷里とする友人(井川恭)を訪ねた芥川龍之介が、堀端の同じ住まいに20日ほど滞在しているのは、不思議な偶然と言うしかない。
志賀直哉が暮らした当時の松江では八雲の真の業績を知る人は少なく、志賀の方から地元の青年会長にその存在と魅力を訴えたほどだった。昭和初期に小泉八雲記念館が建設される折には、建設資金の募集に応じ、当時、住んでいた奈良からまとまった寄付金を送ったという。
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矢島裕紀彦(やじま・ゆきひこ)
1957年、東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒。著書に『心を癒す漱石の手紙』『打つ 掛布雅之の野球花伝書』(以上、小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』『ウイスキー粋人列伝』(以上、文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(宝島社)『文士の逸品』(文藝春秋)『文士が愛した町を歩く』『鉄棒する漱石、ハイジャンプの安吾』(以上、NHK生活人新書)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ出版部)『あの人はどこで死んだか』(主婦の友社)ほか多数。漱石没後百年の2016年、サライ.jpで『日めくり漱石』を1年間連載。グランドセイコー広告の掌編小説シリーズ『時のモノ語り』で2018年度朝日広告賞朝日新聞特別賞受賞。https://atelier1328.com
(この連載を通しての主な参考文献)
『漱石全集』全28巻、別巻1(岩波書店、1993~1999年)/夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)/夏目伸六『父・夏目漱石』(文春文庫、1991年)/夏目伸六『父・漱石とその周辺』(芳賀書店、1967年)/高浜虚子『回想子規・漱石』(岩波文庫、2002年)/松岡陽子マックレイン『漱石夫妻 愛のかたち』(朝日新書、2007年)/荒正人『増補改訂漱石研究年表』(集英社、1984年)/江藤淳『漱石とその時代』第1部~5部(新潮新書、1970~1999年)/『新潮日本文学アルバム夏目漱石』(新潮社、1983年)/『別冊國文学 夏目漱石事典』(学燈社、1990年)/『夏目漱石の美術世界』(東京新聞、NHKプロモーション、2013年)/出久根達郎『漱石先生とスポーツ』(朝日新聞社、2000年)/江戸東京博物館・東北大学編『文豪・夏目漱石』(朝日新聞社、2007年)/平岡敏夫『「坊つちやん」の世界』(塙新書、1992年)/恒松郁生『漱石 個人主義へ』(雄山閣、2015年)/小泉節子、小泉一雄『小泉八雲 思い出の記 父「八雲」を憶う』(恒文社、1976年)/小泉八雲、平井呈一訳『日本瞥見記』上・下(恒文社、1975年)/小泉八雲、平井呈一訳『東の国から・心』(恒文社、1975年)/小泉八雲、平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社学術文庫、1990年)/小泉八雲、池田雅之編訳『虫の音楽家』(ちくま文庫、2005年)/『明治文学全集48 小泉八雲集』(筑摩書房、1970年)/小泉時共編『文学アルバム小泉八雲』(恒文社、2000年)/小泉凡監修『小泉八雲、開かれた精神の航跡。』(小泉八雲記念館、2016年)/池田雅之監修『別冊太陽 小泉八雲』(平凡社、2022年)/池田雅之『小泉八雲』(角川ソフィア文庫、2021年)/田部隆次『小泉八雲』(北星社、1980年)/長谷川洋二『八雲の妻』(今井書店、2014年)/関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』(恒文社、1999年)/梶谷泰之『へるん先生生活記』(恒文社、1998年)/池野誠『松江の小泉八雲』(山陰中央新報社、1980年)/工藤美代子『神々の国』(集英社、2003年)/工藤美代子『夢の途上』(集英社、1997年)/工藤美代子『聖霊の島』(集英社、1999年)/平川祐弘編『小泉八雲回想と研究』(講談社、1992年)/平川祐弘『世界の中のラフカディオ・ハーン』(河出書房新社、1994年)/熊本大学小泉八雲研究会『ラフカディオ・ハーン再考』(恒文社、1993年)/西川盛雄『ラフカディオ・ハーン』(九州大学出版会、2005年)/西成彦『ラフカディオ・ハーンの耳、語る女たち』(洛北出版、2024年)/池田雅之『日本の面影』(NHK出版、2016年)/ラフカディオ・ハーン『小泉八雲東大講義録』(KADOKAWA、2019年)/芦原伸『へるん先生の汽車旅行』(集英社インターナショナル、2014年)/嵐山光三郎『文人暴食』(新潮文庫、2006年)/河東碧梧桐『子規を語る』(岩波文庫、2002年)/『正岡子規の世界』(松山市立子規記念博物館、1994年)/『子規全集』18巻、19巻(講談社、1979年)/『志賀直哉全集』第8巻(岩波書店、1999年)/『芥川龍之介全集』第4巻(岩波書店、1996年)/瀬沼茂樹『評伝島崎藤村』(筑摩書房、1981年)/矢島裕紀彦『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫、2009年)/矢島裕紀彦『鉄棒する漱石、ハイジャンプの安吾』(NHK生活人新書、2003年)/矢島裕紀彦『文士が愛した町を歩く』(NHK生活人新書、2005年)/矢島裕紀彦『文士の逸品』(文春ネスコ、2001年)











