物語は、心に蒔かれた種である。幼いある日に読んだ漫画の小さなフレーズが思いもかけずに蘇ってくることがある。生きてきた道を振り返ると、いくつもの岐路で物語の断片たちは、標となり灯火となって私たちを導いてきた。人生を変えた名作漫画に、再び出会う。

1962年生まれ。上智大学卒。著書に歌集『水中翼船炎上中』(若山牧水賞)、エッセイ『本当はちがうんだ日記』、新著『短歌のガチャポン、もう一回』など。
「“人生すごろく”の舞台は自分で決めていいと教えてくれたのは萩尾望都の『11人いる!』でした」
歌人の穂村弘さんは、昭和40年代から、漫画の世界は押し並べて、「梶原一騎的人生すごろくの時代」だったという。
梶原一騎といえば、『巨人の星』に『あしたのジョー』、『タイガーマスク』に『柔道一直線』といったスポ根漫画の原作者だ。
「高度成長期の日本と重なっていたのでしょう。主人公が野球やボクシングと出会い、ライバルと切磋琢磨しながら頂点を目指す。いわゆる立身出世譚です」
星飛雄馬も矢吹丈も、貧困などのハンデはあるが、輝く才能の持ち主だった。
「こうしたスポ根漫画は、実は実社会のシステムを受け入れ、そこに乗っかっていける強者を描いていました。小学生の僕はもちろん、そのことに気づいていませんが、実際の僕は野球もできないしボクシングもできない。本道から外れているわけです。また、『巨人の星』の星明子は弟を電柱の陰から見守るだけで、主体的ではありません。当時の少女向けの漫画は恋愛が主で、しかも王子様が取り柄のない私を見初めてくれるというストーリーばかり。素敵な人に愛されることでしか自己実現できない世界を描いていました」
漫画を一変させた「24年組」
梶原一騎的立身出世の人生すごろく。ここから多くの少年少女が漏れていたと穂村さんはいう。
「昭和50年代に登場したのが、いわゆる『花の24年組』。昭和24年生まれを中心とした女性漫画家、萩尾望都や山岸凉子、大島弓子といった面々です。彼女たちが漫画の世界を一変させました」
どういうことか。
「人生のすごろく盤は、社会に従うのではなく、自分たちで決めていい、というメッセージが漫画に込められていました」
萩尾望都の『11人いる!』にそれがはっきり描かれている。
「主要人物のフロルベリチェリ・フロルにいたっては、性別がまだ決まってないキャラクターです。性自認がない人がいる、自分の性を選択する、というのは今では当たり前ですが、昭和50年(1975)にすでに、SFの手法を借りて社会がまだ発見していない価値観を描こうとしていました」
穂村さんが今、愛読するのは、24年組同様、現実に対する違和感や非日常に目を向ける漫画だ。
「こうした漫画は世界に対する新しい見方を用意してくれます」

『11人いる!』萩尾望都著
宇宙船に閉じ込められた宇宙大学受験生たちのサバイバルを描いた密室劇。萩尾望都の傑作SFだ。『別冊少女コミック』で連載(1975年)。「社会がまだ発見していない価値観を描き出しています」(穂村さん)
小学館文庫(電話:03・5281・3556)935円
『失踪日記2アル中病棟』吾妻ひでお著
アルコール依存症の治療体験が克明に描かれた吾妻ひでおの実体験漫画。『失踪日記』の続編で描き下ろし。2013年に刊行された。「自分がダメだとわかっているから、相手にも寛容になれるのですね」と穂村さん。
イースト・プレス(電話:03・5213・4700)1430円
『失踪日記』吾妻ひでお著
「誰にでも、今の自分を捨てたいという衝動があると思いますが、本当に仕事も家族も放り出し、突然、山などで暮らし始めてしまった漫画家の、実体験漫画です」(穂村さん)。2005年に刊行されベストセラーに。
イースト・プレス(電話:03・5213・4700)1254円
『夢みごこち』フジモトマサル著
「夢落ちを逆手に取ったストーリーです。早々に夢落ちだと明かされるが、その夢落ち自体も夢。夢同士の物語が繋がり始め、読者は何が夢で何が現実なのか、わからなくなります」(穂村さん)。2011年刊行。平凡社(電話:03・3230・6573)1870円
『生活保護特区を出よ。』まどめクレテック著
生活保護特区がある架空の日本が舞台。女子高生の主人公は「能力不振」と判断され、生活保護特区への移住を強いられる。2022年、著者はこの作品で漫画家デビュー。「これは思考実験漫画です」と穂村さん。
リイド社(電話:03・5373・7001)800円
『交通事故で頭を強打したらどうなるか?』大和ハジメ著
事故で脳に損傷を負った青年によるリハビリ体験漫画。2019年刊行。「健常者じゃなくなった自分には居場所がない。居場所を作るには芸術しかない、と漫画を描き始める。希有なリアリティ漫画です」(穂村さん)
KADOKAWA(電話:0570・060・555)1100円 ※品切れ
取材・文/角山祥道 撮影/宮地 工

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