
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』の第2回です。小一郎(演・仲野太賀)の幼馴染の直(演・白石聖)の祝言が決まり、「やや傷心の小一郎」でした。坂井喜左衛門(演・大倉孝二)の屋敷では、酒が振る舞われ、小一郎に対しても「呑んでなんもかも忘れてしまえ」と酒が注がれました。
編集者A(以下A):注がれた酒は白い濁り酒でした。この頃は現代の清酒の登場以前ですが、こういう場面をみると、当時のお酒はどのような味わいなのか気になりますよね。
I:奈良の興福寺では、戦国時代の興福寺の僧・多門院英俊の日記『多門院日記』の永禄11年(1568)の記述をもとに当時の酒が再現されました。本能寺の変直前の信長にも献上されたという酒は、「水端(みずはな)1568」と名付けられ、興福寺境内の国宝館などで売られています。
A:あ、「水端1568」なら、奈良に行った際に飲みました。現在の清酒とほぼ同じような味わいですよね。
槍の名手・城戸小左衛門

A:劇中で藤吉郎(演・池松壮亮)らと絡んでいた城戸小左衛門(演・加治将樹)という槍の「師範」は実在の人物で、『信長公記』にも槍の名手として名前が出てきます。信長の配下には、藤吉郎、小一郎だけではなく、大勢の人物が蠢きあっていたことを示す場面になったと同時に、藤吉郎の織田家での立ち位置をはっきりと可視化する場面になりました。
I:まだまだ織田家中の下層家臣という感じでした。
A:藤吉郎の周辺にはこうした人物が数多いるわけです。この時は、藤吉郎よりはるか上の地位にいるのですが、やがて追い抜かれる。その最たる例が、柴田勝家(演・山口馬木也)になります。第1回、第2回の身分差は天と地のような差ですが、やがて同輩にまで昇りつめる。勝家の立場からすれば、絶対藤吉郎→秀吉の風下には立ちたくないと思うのは必定ですよね。こうした人間模様も本作の注目ポイントです。
再び村が野盗に襲われる意味

I:前週の第1回に続いて、村が野盗に襲われました。しかも坂井喜左衛門の娘にして、小一郎の幼馴染の直の祝言の日という設定でした。さらに野盗を襲う野武士まで現れるなど、これまでにない凄惨な場面になりました。
A:そんなに野盗に襲われるのか? というふうに思われるかもしれませんが、この場面は、一見コミカル要素を含みながら進む物語の中で、「戦国のリアル」を強烈にあぶり出しました。
I:『麒麟がくる』(2020年)、『どうする家康』(2023年)でも同じような場面がありましたが、本作では、小一郎の朋友である信吉(演・若林時英)の首のない亡骸が見つかり、傍らに首が転がっているという衝撃的な場面が挿入されました。
A:こういう時に「戦のない世にしたい」という台詞が出てきたりするのですが、本作では、首をはねられた信吉や、田植えしたばかりの田んぼが荒らされたという場面を挿入することで、「戦のない世の中になってほしい」という思いが台詞なしでも強烈に伝わったような気がします。
I:その「戦のない世」を、当時の足利将軍からみたら「家臣の家臣の家臣」でしかなかった織田信長と貧しい農民層だった藤吉郎・小一郎の兄弟が原動力となって牽引していく。こんなダイナミックな話ありますか?
A:さて、名のある武将の「大将首」であれば、褒章を得るために首は持ち帰られるのですが、信吉のような名もなき民の首は一顧だにされなかったのでしょう。『完本 信長全史』(小学館)の108~109頁には、「首塚のしゃれこうべが今に伝える――日本史上もっとも不幸だった戦国時代」という項目があります。戦国時代の首塚跡から出土した多数のしゃれこうべの写真が印象的なページです。
I:戦国時代は全国各所で大きな大きな犠牲をはらった上で、時を刻んでいったということを忘れてはならないのだろうと思いました。秀吉と秀長のサクセスストーリーということで、兄弟の快活さだけをクローズアップするだけでなく、ショッキングではありましたが、戦国の実相を丁寧に描く場面に唸りました。前週のフラッシュバックで「信長さまはそういう身分だの家柄だのにとらわれず、真に力のある者をお認めくださるお方だ」という藤吉郎の言葉と、信長が発した「じっとしていても欲しいものは手に入らぬ。自分の進む道は自分で切り開くのじゃ」という言葉が身に沁みました。
A:「自分の進む道は自分で切り開くのじゃ」――。どの時代にも通じる言葉ではありません。日本の歴史を概観すると、この言葉が実践できない時代の方が長かった気がします。信長らが生きた戦国時代は、俗に「下剋上の時代」ともいわれますが、まさに藤吉郎らのような下層民にも、チャンスが巡ってくる可能性を秘めた時代だったのだと思います。
【お市の方は大河ドラマ主演経験者。次ページに続きます】











