はじめに―本居宣長とはどのような人物だったのか

江戸中期から後期にかけて活躍した国学者・本居宣長(もとおり・のりなが)。『古事記伝』や「もののあはれ」の説で知られ、日本人の感性やことばの本質を深く掘り下げたその思想は、今なお文学・語学・思想の領域に大きな影響を残しています。

この記事では、本居宣長の生きた時代背景とともに、その学問的歩みと思想の全体像を、わかりやすくご紹介します。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)とともに本を刊行する作家として描かれます。

本居宣長

本居宣長が生きた時代

江戸時代中期(18世紀)は、社会が安定し町人文化が花開いた一方、思想界では朱子学・儒学が主流を占めていました。しかし、学問のあり方にも新たな風が吹き始め、徂徠学(そらいがく)や古文辞学(こぶんじがく)、契沖(けいちゅう)に代表される実証的な古典研究の機運が高まっていました。

そうした時代に登場した本居宣長は、「和歌とは何か」「日本語とは何か」「日本とはどのような国なのか」といった問いに独自の視点で挑みました。儒仏の道徳観とは一線を画し、日本古来の精神や情感を尊重する姿勢は、多くの支持とともに新たな国学の潮流を形づくっていきます。

本居宣長の生涯と主な出来事

本居宣長は享保15年(1730)に生まれ、享和元年(1801)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

商家の子から学者へ|医師を志し、京都で学問の基礎を築く

享保15年(1730)5月7日、伊勢国松坂(現・三重県松阪市)の木綿問屋の小津定利 (おづ・さだとし)の次男として生まれた宣長は、幼い頃から読書が好きで、商売よりも学問に強い関心を持っていました。幼名は富之助です。

父の死後、寛延元年(1748)に紙商今井田家の後継ぎとして一度は養子に出されましたが、商人としては不向きだったせいか家運が傾き、のちに医師を志して京都へ遊学します。この頃、姓を「本居」にあらためています。

京都では、朱子学者・堀景厚(ほり・げんこう)や李朱(りしゅ)医学の大家・武川幸順(たけかわ・こうじゅん)らに師事して6年間学び、26歳で医師免許を取得。名を「宣長」とし、医師としては「春庵」と名乗って開業します。

この時期、儒学・医学に加え、古典研究や国文学にも関心を深めていきました。

「もののあはれ」の発見|文学・語学研究への傾倒と開花

宝暦7年(1757)松坂に戻った宣長は、町医者として生計を立てる傍ら、古典研究に没頭。30代になると『源氏物語』の講義を開始し、『紫文要領』(しぶんようりょう)、『石上私淑言』(いそのかみのささめごと)などの著作を通して、「もののあはれ」の説を展開しました。

これは、理屈や道徳ではなく、「感情そのもの」に価値を見出す思想であり、当時の朱子学的な道徳観とは大きく異なるものでした。宣長の文学観は、「感じる心」を中心に据えた、極めて日本的で人間味あふれるものでした。

賀茂真淵との出会い|師と弟子の絆から生まれた『古事記伝』

宝暦13年(1763)、松坂を旅した国学者・賀茂真淵(かもの・まぶち)と運命的な出会いを果たした宣長は、翌年、正式に入門。真淵の影響を受けて『古事記』の注釈に取り組み始めます。

この時から約三十数年をかけ、壮大な注釈書『古事記伝』(全44巻)を完成させます。『古事記』の神話を実証的に読み解き、「神のみしわざ」として日本の神道を再解釈するその思想は、単なる古典注釈を超えて、古道・神道思想の基盤を築くものでした。

本居宣長『古事記伝 44巻』[1],刊,刊年不明. 
国立国会図書館デジタルコレクション 
https://dl.ndl.go.jp/pid/2556361

語学研究と神道思想

宣長は古語の研究にも力を入れ、『詞の玉緒』(ことばのたまのお)『てにをは紐鏡』などで、日本語の文法や音韻について体系化を進めました。特に「係り結び」の法則を明らかにした功績は、日本語学史における画期的な発見とされています。

また、儒仏的な「理」ではなく、見聞や経験に基づく「事」の世界を重視し、現象のすべてを「神のみしわざ」とする神秘的不可知論を展開。「理」を排し、「感じる心」や「自然」を尊ぶ姿勢は、神道思想と深く結びついていきます。

蔦重との関係

蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう、通称・蔦重)は吉原関連の洒落本や黄表紙といった戯作書の出版を中心に活動していた時期を経て、書物問屋仲間に正式に加わったのは寛政3年(1791)のこと。書物問屋は、全国規模で書籍を流通させるネットワークを築いており、扱う書籍も漢籍や儒教・仏教関係の文献など、いわゆる「堅い本」でした。

そんな中、蔦重も伊勢に下向し、松坂にて国学者・本居宣長と面会したそうです。蔦重は、宣長の著した『延喜式』の注釈書『出雲国造神寿後釈』(いずものくにのみやつこかんよごとこうしゃく)を、名古屋の永楽屋と共同で出版しました。

蔦屋重三郎
蔦屋重三郎

松坂に根ざした学問

宣長の学問の拠点は、松坂の自宅にあった書斎「鈴屋」(すずのや)。この四畳半の空間から、多くの著作と門弟が育まれました。医業にも励み、薬の製造・販売を行いながら、全国からの門人に学問を授けました。

その門下からは本居春庭(実子)や本居大平(養子)をはじめ、後に平田篤胤(ひらた・あつたね)らが登場し、宣長学の系譜は明治維新期の思想にもつながっていきます。

本居宣長旧宅跡

まとめ

本居宣長は、「文学」「語学」「古道」の3分野で優れた業績を残し、江戸時代の国学を一つの体系として完成させました。

とりわけ『古事記伝』は、日本神話を通じて人間の情感や国の成り立ちを再解釈し、「もののあはれ」の思想とともに、日本人の精神文化に深い影響を与え続けています。

彼の学問は、理性偏重の思想に対して「感情」や「言葉の力」を取り戻す試みでもありました。

72年の生涯で記した著作は、古典文学・語学・思想書を含め実に多数にのぼり、現代の日本文化を語るうえでも欠かせない礎となっています。

その歩みは、今もなお、私たちが「日本とは何か」を見つめ直すための示唆に満ちています。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『週刊エコノミスト』2025年3月11日号(毎日新聞社)

 

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