取材・文/ふじのあやこ

一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
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株式会社アイベックが運営するハッピーメールは、「結婚の後悔」に関するアンケート調査(実施日:2025年1月10日、有効回答数:既婚男女200人(各100人)、インターネット調査)を実施。調査にて、「結婚を後悔したことがありますか?」の問いに対して、「何度か後悔したことがある」と回答した人は男女ともに約4割、「本気で後悔している」と回答した人は男女ともに約1割という結果になった。次いで結婚を後悔した理由を聞いたところ、女性の1位は「性格の不一致(24人)」、男性の1位は「自由な時間がない・束縛がある(23人)」となった。その中で「DV・モラルハラスメント」と回答したのは男女ともに6人と同じ数字になっている。
今回お話を伺った哲平さん(仮名・46歳)は、「両親のことが大嫌いだった。実家は苦痛を伴う場所だった」という。
父の支配から抜け出せない自分が嫌いだった
哲平さんは両親と2歳上に姉のいる4人家族。父親は絵にかいたような亭主関白で、男尊女卑的な思想の持ち主。家族全員を支配するような父親の態度に、最初に嫌気が差したのは姉だった。高校を卒業してすぐに姉は家を出て、そこから一度も実家に戻ることはなかったという。
「家には父が決めたルールがたくさんありました。ご飯でいうと、食事を最初に食べるのは父親で、父親が許可しないと食事が終わった後も席を立つことが許されませんでしたね。テレビは父が好きな野球の試合だけが食事時で唯一許されていました。
姉は大学進学を希望していたのに、女性だからという理由で父に反対されて、そこでプツッと我慢の糸が切れてしまったんだと思います。卒業式の後に手紙だけ残して出て行きました」
哲平さんも父親のことが大嫌いだった。それだけでなく、姉を守ってくれなかった母親、そして何もできなかった自分のことも大嫌いだったと振り返る。
「姉が父と言い合いになっているときに、母親はただ父の後ろに立ってその様子を見ているだけでした。私が父に殴られているときも母親は何もしてくれなかった。私は自分の意思が何もないように見えた母親のこともだんだん嫌いになっていきました。
でも、何もできなかったのは私も同じです。姉が泣いていても、隣にいるだけしかできませんでした。姉はそんな私に何の相談もしてくれることなく家を出たので、きっと私は役に立たないと見限られたんだと思います」
何もできなかった自分を悔いた哲平さんだったが、歯向かうことなく父親が決めたレールの上を歩き続け、その後は結婚相手の言いなりになった。
「父のことを嫌いつつも、父が決めた大学を卒業して、父が納得した企業に勤めました。他の道を選ぶことができなかったんです。そんな中で唯一父を説得したのが結婚相手です。妻は3歳上だったのですが、父は年上ということが引っかかったみたいです。しかし、外面のよかった妻はすぐに父と打ち解け、結婚を許可してもらいました。
結婚して父の拘束からやっと抜け出せたと思っていました。私は女性のことを見下す父を反面教師として、女性には優しくしたいという思いがあった。そんな思いから、父の次は妻の言いなりになってしまったんです」
【妻から「男じゃない」と言われたことが離婚のきっかけに。次ページに続きます】
