取材・文/ふじのあやこ

一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
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マイボイスコム株式会社は、「二地域居住・複数拠点生活」に関する調査(実施日:2024年12月1日~12月7日、有効回答数:9219人、インターネット調査)を実施。調査にて、2か所以上の生活拠点はあるかどうかの問いに対して、「ある」と回答した人は9.4%となった。次いで、複数拠点で生活する目的や理由について聞いたところ、「別居の親や祖父母などの介護や世話・見守り、サポート」(2.1%)、「空き家になった実家などの管理」(1.7%)、「単身赴任・転勤など」(1.3%)、「気分を変えたい」(1.2%)という結果になっている。
今回お話を伺った由美佳さん(仮名・44歳)は、大学進学をきっかけに単身赴任をずっと続けていた父親と同居を始め、母親が単身で実家で暮らすようになっていた。【~その1~はこちら】
父親は地元に戻ってからも母親との別居を継続した
就職してからも父親との2人暮らしを続け、母親とは大型連休のときに会う関係でうまくいっていた。由美佳さんは26歳で結婚するまで父親と一緒に暮らし、その1年後に父親の単身赴任が終わり、父親は実家に戻ることになった。
「私は大学時代に出会った人と結婚したので、そのまま東京に残り、父親は母親が暮らす地元に戻ることになりました。両親が2人で暮らすのは20年以上ぶりなので、最初は心配していました。でも、私が夫も連れて帰省するときには2人は仲良くしているように見えていたので安心していたんですがね」
しかし、両親は地元で別居していた。母親が骨折をしたことで同居していないことに気づいたという。
「母親が家の階段から落ちて、手首を骨折してしまったんです。それで生活が不自由になって、一緒に働いている友人に助けてもらっていると母親は言いました。そのときに、お父さんに頼みなよと伝えたら、一緒に暮らしていないと。たまに会うような関係であることを聞かされました」
由美佳さんは両親の別居に反対はしなかった。
「長年別居をしてきたのだから、いきなり同居となってしんどかったのだと思いました。当時は両親とも働いていて、2つの家を持つことについて経済的に無理をしている感じもなかったので、反対はしませんでした。その後も私が帰省したときに見た両親の姿は仲良さげだったし、孫が生まれたときも一緒に病院にかけつけてくれるなど、単身赴任中の長距離のときよりも仲良く見えていました」
【2世帯で暮らすために唯一決めたこと。次ページに続きます】
