取材・文/ウルトラフォース
しばしば人生訓として取り上げられる論語では、40歳を「不惑」、50歳は「知命」と表されています。「40で惑いがなく、50では人生を振り返り、天命として自らの役割を知る」という意味です。“人生100年時代”となった現代の50代はどんな“天命”を受け、定年までの坂道を上っているのか。働く50代女性を取材し、それぞれの辿った人生のストーリーとともに現在の心境を聞いてみました。
今回はアパレル企業に勤務する53歳の人生を追っています。仕事に没頭し“30歳までに結婚”という理想はかなわず、しかも当の仕事で、30代半ばに挫折を経験。一念発起でマンションを購入し、人生をリセットし、40代を迎えました。
【~前編~はこちら】
マンションを買って開けた新たな人生プランがまさかの展開に!
結婚を断念したわけではなかったが、マイホームを購入したことで、若い頃に描いた結婚、子育て、夫婦の老後という人生の設計図は書き換えざるを得なかった。新たな人生プランは、定年前にローンを完済。退職金は老後の貯えとし、定年後もできる限り働き続けるというシナリオだった。
「マイホームを買った効果なのか、40代に入り、婦人服の担当に戻ることができました。F3といわれる50代以上の富裕層女性が主な顧客で、接客もやりがいがありましたね。一人暮らしで休日も時間を自由に使えるので、顧客と食事に出かけ、プライベートでも親交を深めるなど私にしかできない営業が功を奏し、会社からも評価される結果を残せました。なるべくスタイルを維持しようとパーソナルトレーニングを始めたり、卒業した短大で一般向けのファッション講座を受講したり、今、改めて当時を振り返っても充実していたなと思います」
こんな日々がずっと続けばいい。そう願っていた矢先、アパレル不況によって会社の業績が悪化し、大がかりなリストラによって、良き理解者だった同年代の多くが会社を去ることになった。
「バブル入社組は給与体系が高いこともあって“肩たたき”に遭いやすいんです。私としては“せめてローンが終わるまで待って(笑)”という思いでしたが、50歳の節目で担当していたブランドが廃止。またしても居場所がなくなり、もう潮時かなと感じていました」
30代で経験した挫折とは違っていた。長引く不況の影響はあまりにも大きく、不安を感じた若い社員が次々に退職していった。今後は配置換えという生易しいものでは済まず、社員全体が最悪倒産もありうると覚悟したほどだ。50の坂を上り始めたタイミングで、笙子さんは、30年間働いた会社を辞める決心をする。
「会社からは販売以外の部署への異動をすすめられました。ローン返済まで居座れることに心は揺れましたが、30年間、販売一筋でやってきたプライドもあり、このスキルをどこかで活かしたいという思いの方が強く、身を引く決心をしました。もちろん会社の経営がさらに悪化する前に、退職金を満額もらって去りたいという気持ちもありました」
【退職に駆り立てたのは、転職の法則“55歳の壁”だった。次ページに続きます】