取材・文/ウルトラフォース
しばしば人生訓として取り上げられる論語では、40歳を「不惑」、50歳は「知命」と表されています。「40で惑いがなく、50では人生を振り返り、天命として自らの役割を知る」という意味です。“人生100年時代”となった現代の50代はどんな“天命”を受け、定年までの坂道を上っているのか。働く50代女性を取材し、それぞれの辿った人生のストーリーとともに現在の心境を聞いてみました。
寿退社を思い描いたあの頃の人生設計ははかなく消えたけれど
今回紹介する笙子さん(仮名)は現在53歳。服飾系短大入学を機に地方から上京し、新卒で中堅アパレル企業に入社。30年間、販売員一筋で勤め上げてきた。身長が高く、流行をさりげなく取り入れた着こなしもサマになる。身のこなしや、饒舌で笑顔の絶えない人懐っこい人柄からも、ファッション業界で働く女性の才気が伝わってくる。
「入社した時はバブルの真っ只中。社会全体の風潮がいわゆる“イケイケ”で、仕事もプライベートも楽しく毎日がキラキラ輝いていました。市場リサーチと称して、上司や同僚と夜な夜な芝浦や六本木、銀座のトレンドスポットに繰り出していましたし、経費でディスコに出かけ、お立ち台で踊っていても、会社からとやかくいわれませんでしたから、ユルくて、いい時代でしたね」
もともと笙子さんはデザイナー志望だったが、自分より才能のある人でさえふるいにかけられる高倍率の狭き門であることを知り、この夢をあっさり断念。「アパレルで働けるなら」と、ノリ半分で販売員の道を選んだが、彼女自身が驚くほど接客が性に合い、同期の中でも頭角を現していった。
「入社当時はまだ“ハウスマヌカン”人気の名残があり、夜遊びにいくとチヤホヤされていました。25歳の時、別のアパレルで働く、学生時代からつきあっていた男性にプロポーズされましたが、彼の写真を見た父に“こんなチャラチャラした男に娘がやれるか”と反対され、二の足を踏んでいるうちに彼との関係も自然消滅。その後も、お店が入居していた百貨店の方や、仕事関連、遊び仲間の男性とおつきあいしましたが、いずれも泡のように短期間で終わり、結婚に結びつくような恋愛はこの1度きりでした。理想が高いわけではないんですよ。今考えると、同じ業界の人じゃない方がよかったかもしれませんね。自然と話が仕事のことになってしまうので、自分も相手も疲れたのかもしれません」
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