文/ケリー狩野智映(海外書き人クラブ/スコットランド・ハイランド地方在住ライター)
2022年6月、南アフリカのケープタウン西海岸に位置するゴードン湾の浜辺で、金属探知機を使ったトレジャーハントを趣味とする女性が、18金のアンティークの指輪を見つけた。
その指輪が実は、19世紀の英国で活躍したスコットランド人地質学者、作家、民俗学者のヒュー・ミラーを悼むモーニングリングであることが判明し、英語圏のメディアで大きく話題になった。

写真提供:National Trust of Scotland / Alison White Photography
モーニングリングとは、故人の遺族が服喪中に故人を偲んで身につける装飾品「モーニングジュエリー」の一種。モーニングジュエリーは、指輪やペンダント、ブローチに故人の遺髪を封入したものが多く、英国で広く着用されていたのは、ヴィクトリア女王の統治下にあった19世紀後半のことだった。
この指輪を見つけた南アフリカ人トレジャーハンターの女性は、指輪の内側に刻まれている姓名、生年月日、没年月日を調査してヒュー・ミラーの存在を知り、彼の生家や作品の管理・保存を支援する慈善団体「The Friends of Hugh Miller(私訳:ヒュー・ミラー友の会)」に連絡をとった。

写真提供:National Trust of Scotland / Alison White Photography
指輪の外側には「IN MEMORY OF(~を偲んで)」と刻まれており、内側に記された姓名(HUGH MILLER)、生年月日(Born Octr 10th 1802)と没年月日(Died Decr 24th 1856)がヒュー・ミラーのものと完全に一致していることから、これが彼の死を悼むモーニングリングであると判定された。
だが一体なぜ、スコットランド人地質学者ヒュー・ミラーのモーニングリングが、はるか彼方の南アフリカの海岸で見つかったのだろうか。
まずはヒュー・ミラーについて簡単に紹介しよう。
独学の地質学者
19世紀の英国社会におけるポピュラーサイエンス(通俗科学)の普及に大きく貢献したヒュー・ミラーは、1802年10月10日に英国北部スコットランド・ハイランド地方の主要都市インヴァネスの郊外に位置するブラックアイル半島の小さな港町クロマティ(Cromarty)で生まれた。

17歳で石工となり、採石場を転々と移動して働く傍ら、スコットランド各地の海岸を探索して化石の収集や地質の研究に情熱を注ぎ、独学で古生物学と地質学の知識を培った。
1835年からはクロマティの商業銀行で銀行員として働いていたが、1840年にエディンバラに移ってキリスト教福音派の新聞の編集者となり、1856年に他界するまでその仕事に従事していた。彼の記事は大きな影響力を持っており、1843年に福音派がスコットランド教会から離脱して設立したスコットランド自由教会の発展に大きく貢献したという。
地質学や民俗学の分野で一般民衆向けの著書を数多く残しており、『クリスマス・キャロル』や『大いなる遺産』などでの名作で有名な文豪チャールズ・ディケンズや、『種の起源』で進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンとも交流があった。ダーウィンがミラーに宛てた手紙の一部は、彼の故郷クロマティにあるヒュー・ミラー記念博物館に展示されている。

晩年はひどい頭痛と精神的苦痛に悩まされ、1856年のクリスマスイブに拳銃で自らの命を絶っている。
長女がまとっていたもの?
記念博物館には、ヒュー・ミラーの遺髪が封入されたモーニングブローチも展示されている。これは2007年にヒュー・ミラー友の会がオーストラリアのある売り手から買い取ったもので、モーニングリング同様に彼の姓名、生年月日、没年月日が刻まれている。

南アフリカで見つかったモーニングリングの中心部には石枠があるが、ここにも遺髪が収められていた可能性が高い。
下は、ヒュー・ミラーの死から4年後の1860年に撮影されたとされる、彼の子供たちの写真だ。

向かって右端に座っている若い女性は長女のハリエットで、撮影当時は20歳。よく見ると、ハリエットは左手の中指に指輪をはめており、襟元には楕円形のブローチが見える。残念ながら、これらが先述のモーニングリングとモーニングブローチだと確定できるほど写真の画質は高くないが、そうであった可能性はある。
記録によると、ヒュー・ミラーが自殺した翌日、彼の大の友人であった牧師が遺髪を切り取っている。それはハリエットの依頼によるものだった。
ハリエットとともに渡航?
このモーニングリングがどうして南アフリカの海岸にたどり着いたのかの謎を解く鍵は、長女ハリエットが握っているようだ。
ハリエットは夫とともに1870年にオーストラリアへ渡航している。先述のように、ヒュー・ミラーのモーニングブローチはオーストラリアで買い取られているので、やはりハリエットとともに海を渡ったのだろう。
当時の英国・オーストラリア間の航路は南アフリカ経由が一般的であったため、ハリエットを乗せた船も南アフリカの港に寄港したと考えられる。
ハリエットは1883年にオーストラリアのアデレードで永眠したが、彼女の3人の娘たちは1884年に英国に戻っている。彼女たちも南アフリカ経由の航路で旅したに違いない。
考えられるシナリオは、ハリエットか彼女の娘たちが南アフリカのケープタウンに寄港中、モーニングリングを1)海に落としてしまった、2)何らかの理由で売却した、3)盗まれてしまった、というところではないだろうか。
いずれにしても、謎とロマンに満ちたストーリーだ。
ヒュー・ミラー記念博物館への行きかた
「モーニングリング発見の報道以来、多くの訪問者からこの指輪について問い合わせがありました。指輪は発見後しばらくしてヒュー・ミラー友の会に寄贈され、数々の手続きを経て今年のあたまにスコットランドに到着し、3月から当記念博物館で正式に一般公開されています」と説明するのは、記念博物館スタッフのジェームス・ライアンさん。

「クロマティはインヴァネスから車で30分程度の距離にあり、市バスも利用できます。インヴァネス方面を旅する機会があれば、ぜひクロマティまで足を延ばし、記念博物館でヒュー・ミラーの生涯と偉業について学びながら、実物をじっくり鑑賞してください」

クロマティへは、インヴァネス中心部のバスターミナルから26番バスか26A番バスで行ける。道中数多くの停留所があるので1時間ほどかかるが、車窓からの景色は風光明媚。料金は往復で12.60ポンド(約2410円)程度である。
クロマティの町のThe Links(ザ・リンクス)停留所で下車すれば、ヒュー・ミラー記念博物館へは徒歩わずか数分。入場料金は大人7ポンド(約1350円)で、家族料金なら16ポンド(約3060円)だ。
記念博物館はヒュー・ミラーの父が1797年に建てた家で、その隣にあるかやぶき屋根の彼の生家は、彼の曾祖父が1700年頃に建てたものだそうだ。

記念博物館では、4月のはじめから8月末までの期間中、クロマティの浜辺で化石専門家とともに化石探しをする「Fossil Walk(化石ウォーク)」を毎週金曜日と土曜日に開催している。昨年は合計134個もの新しい化石が見つかったそうだ。見つかった化石は、それを見つけた人の名前とともに記念博物館に1か月間展示された後、浜辺に戻される。
この記念博物館でヒュー・ミラーの足取りをたどりながら、155年の歳月を経て帰郷したモーニングリングの謎とロマンに想いを馳せ、新しい化石の発掘に挑戦してみてはいかがだろうか。
ヒュー・ミラー記念博物館のホームぺージ(The National Trust of Scotland):https://www.nts.org.uk/visit/places/hugh-millers-birthplace
ヒュー・ミラー友の会(The Friends of Hugh Miller)のホームページ:https://www.thefriendsofhughmiller.org.uk/
文/ケリー狩野智映(スコットランド在住ライター)
海外在住通算30年超。2020年よりスコットランド・ハイランド地方在住。翻訳者、通訳者、コピーライター、ライター、メディアコーディネーターとして活動中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織海外書き人クラブ(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。
